“My Way” is not always Sinatra’s Way
2008-10-19 日曜日1 Happy Feet -My Way (in south Pole)
2-1 Paul Anka (the English lyrics for “My Way” : Song Writer)
2-2 Paul Anka & Michael Buble (Live in Paris)
3-1 Elvis Presley (Studio Version)
3-2 Elvis Presley
1 Happy Feet -My Way (in south Pole)
2-1 Paul Anka (the English lyrics for “My Way” : Song Writer)
2-2 Paul Anka & Michael Buble (Live in Paris)
3-1 Elvis Presley (Studio Version)
3-2 Elvis Presley
50年の終わりカラ60年にかけて日本にもテレビが普及して、その頃はドラマを作るよりアメリカからTV連続ドラマを買ったほうが安かったらしくたくさんのドラマが日本に到着した。
ローハイド、ボナンザ、怪傑・ゾロ、Sunset 77、ハワイアン・アイ、ホームドラマのニューヨーク・パパ、少し後にはタイト・ロープ、逃亡者、それゆけスマート・・・などなど
ローハイドには後年、大スターになっていったクリントイーストウッドも若手で出ていた。ちょっとにやけた役どころで・・・現在のシリアスな映画監督からは想像できないイメージだった。
どのドラマもそれぞれテーマ・ソングがあり、ほとんどヒットした。どの曲もプロジューサーやアレンジャーがたくさんのアイデアを盛り込んで、この頃こそ「ドラマのテーマ・ソング・花盛り」だったのではないか。
ストーりーは今見るとものたりないというか単純だし、セットもちゃちだが、歌は今聞いても新鮮だと思う。また当時の生活が蘇ってなつかしい。
その中でも「ローハイド」の曲は傑出していたと思う。
歌手はフランキー レーン。昨年の2月7日、惜しくも93才で他界された。
パンチを聞かせた歌い方。プレスリー以前に、ジャズ、カントリーなどをブレンドした草分け的なロック歌手だった。
“That Lucky Old Sun,” “Mule Train,” “Cool Water,” “IBelieve,” “Granada” and “Moonlight Gambler,” などなど。
歌の合いの手に、鞭の音が入り、こういうのってとても新鮮だった。 ♪ローハーイ ピシ!! などとカバンを叩いて唄った記憶がある。
J-POPどころか、それ以前のニューミュージックと呼ばれる音楽が出てきたころから、私は音楽を聴かなくなりました。年代で言えば70年代前半。
皆さんはいつごろから同時代音楽について行けなくなりましたか。
関連するようなしないような記事をこちらに書きました。 http://www.uraxima.com/notes/20080318a.html
加州ラジオ草紙 からサッチモの記事を移しました。かなり感情移入してたから恥ずかしながらですけど・・
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ラジオからサッチモことルイ・アームストロングの歌が流れてきた。あのしゃがれ声で「What A Wonderful World」この素晴らしき世界を歌っている。ちょうど、最後のWhat A Wonderful Worldのところだった。
Wonderful..とていねい に、ゆっくりと言い聞かせるように歌い、そして
World...と、かるーく、ほそーく消えるように歌い終えた。
ニューオーリンズの極貧家庭に生まれ矯正施設でコルネットを学び、ジャズ・ミュージシャンへと成長していく。人種差別が公然と行われてきた時代。白いハンカチで汗を拭きいつも笑顔で演奏し歌うジャズアーティストは、黒人として卑屈だという批判を受けたこともあったそうだ。
キング・オリバーのバンドのメンバーを経て自分のバンド、ホット・ファイブを作り「Muskrat Ramble」でトップ・テン・ヒット。メイ・エイリックスと初めてデュエットし30年代から60年代と長い間ヒットを出し続けてきた。まさに20世紀のジャズの王様。「聖者の行進」「ハロー ドーリー」「バラ色の人生」数々の作品を残し「What A Wonderful World」も大ヒットした。
当時のアメリカ人 はただうっとりと、Oh, Yes! What A Wonderful World...とハニーと肩よせあって、偉大な白人の国アメリカが他の国を、他の人種を踏みにじっているかもしれないなどとは微塵も思わず、歌に酔いしれていた人もたくさんいたことだろう。
サッチモが 「What A Wonderful World」と歌う時、そんなことをうたっているのではない。もっと深いメッセージを送ってくれたと思う。
彼の道のりはけっして平坦なものではなかったはずだ。いやなことも頭にくることも、たくさんあったと思う。それにハンサムでもなかったし・・
それでもWhat A Wonderful World...と歌うのだ。
どういう時にかはわからないが、
青空を見上げてか、星空を見上げてか、「それでも悪いことばかりではないさ。すてたもんでもないさ、この世は・・」と、つぶやく・・・そんな経験をしたに違いない。
いろいろあるけど、何もかもひっくるめて、なんてすばらしいんだ。
そうだよ、君だって、貴女だって、何てすばらしいんだ。すばらしいんだよ、この世は・・・と歌ってるのだ、きっと。
だから彼のMusicは時代を越えて、痛みを知った人々の心を捉えてはなさないのだと思う。
「私には家もない。お金もない。教育もない。恋人もない...とないないづくしで始まり、
でも、私には手がある。目がある。足がある、心臓がある。肝臓もある...」という歌がある。
What A Wonderful World..の中でひときわ心をこめて
「..Wonderful..」と歌うサッチモの声の底から
「Igotta hand,..Igotta liver…」の歌が浮かびあがってきた。
自分のブログに書くことがあって、 ちょっと調べたところなんですが、 知ってますか中尾ミエの演歌 「さすらいの町」。
ここでワンコーラス試聴できます。
>>さすらいの町(ライブバージョン)
♪白い襟足なやましく… のあと 「すがりつきたい、あなたが欲しい」 と続くはずなんですが、 最初に聞いたときのインパクトの強かった曲です。 町なかで知らない女性にすがりついたら、 まずいんじゃないか、 すごい歌詞だなあ、 と。 ポップスの中尾ミエが演歌を歌ったという意味でも、 インパクトがありました。
わたしのブログ記事はこちらです。 たいしたことは書いてません。
>>djack’s: 思ひあふれて
寒くなりました。こたつでビールを飲みながらハワイアンはいかが。
ギンギンに冷やされた夏のビールでは味が分かりません。
ビールのおいしさとハワイアンのよさが分かるのは冬!この季節です。
ハワイアンといえばバッキー白片とアロハ・ハワイアンズですね。
いま手元にある「南国の夜」で始まるCDは1966年の録音です。
むかしレコードで聴いていたアルバムだったかも。
いわゆるハワイアンの曲だけでなく、バッキー白片で思い出すのは 石原裕次郎と和田弘の二人です。
裕次郎の「俺はお前に弱いんだ」は、バッキー白片の作曲でバックの演奏もバッキー白片とアロハ・ハワイアンだったんですね。
そ ういえば裕次郎の初期の映画には ハワイアンバンドがよく出てきました。
裕次郎もウクレレを弾いていたような気もします。
和田弘はバッキー白片の弟子だったんですね。
「ウナセラディ東京」はザ・ピーナッツで知られていますが、和田弘とマヒナスターズによる録音では、和田弘のスチールギターによる間奏が「♪後ろ姿の幸せばかり・・・」の雰囲気そのままのしっとりとした演奏です。
ハワイアンは歌謡曲にもあうと思うのですが、
「俺はお前に弱いんだ」も「ウナセラディ東京」もハワイアンによるカラオケがないのがさみしいです。
<Geta・記 >
・
・投稿代理・Map
今日は本の紹介。 Map さんの遠藤実記事でも名前の上がっている 「からたち日記」 (作詞は西沢爽)について、 橋本治がこんなふうに言ってます。
「片想い」 がつらいというのは、 恋を知ってしまった大人の発想で、 恋を知らない少女にとって、 これは 「美しいもの」 なんですね。 「恋」 というものは、 「激しい」 以前に美しいものだった。 『からたち日記』 に 「男と女の愛のあり方」 を探るのは無粋というもので、 一番重要なことは、 「恋って美しい」 「恋愛ってきれい」 ということなんですね。 そっと口の中で言ってみればいいんです ―― 「幸せになろうね、 あの人はいいました」 と。
これで胸が一杯にならなかったら、 人間おしまいなんじゃないでしょうか?
人生、 つまんなくありません? これで胸が一杯にならなかったら、 あなたはまだ、 「恋」 とは無縁の人間なんですよ。
熱いねえ、 「 これで胸が一杯にならなかったら、 人間おしまいなんじゃないでしょうか?」 。 橋本治の 『恋の花詞集 ―― 歌謡曲が輝いていた時』、 いい本です。 明治の 「青葉茂れる桜井の」 から70年代までの64曲、 例の饒舌で歌謡曲への愛を語りまくってます。 オリジナルは1990年、 その後ちくま文庫に入りましたが、 今は切れているようです。 古本屋などで見かけたら、 ぜひとお勧めしておきます。
ニール・セダカがなよなよ歌って世界的にヒットした 「恋の片道切符」 (1960年) を、田島貴男 (ORIGINA LOVE) が男っぽく歌いなおした2005年版。 田島が長い手足を舞わせて踊るすてきなプロモーションビデオが、下記サイトで見られます。
>>恋の片道切符 : ORIGINAL LOVE / BARKS WATCH
オリジナルよりはるかに悲しみが深い。 あまり評判になったとは思えない田島版ですが、 名唱です。
ビデオが見られない人は、 こちらで音だけでもぜひ。
>>ポニーキャニオン - 恋の片道切符/青い鳥:ORIGINAL LOVE
先週、ちょっとした会議と懇親会があって、その帰り。友人と喫茶店で1時間ほど無駄話をしたさい、
「竹内まりやがラジオで『悲しき片想い』を歌ってた。すごくよかったが、CDに入ってるのか」
ときかれて、オーウォウォー、オーイエーイエイエというやつ、その場ではアルバムタイトルが思い出せなかったので、あとで調べて知らせてやったのが、60年代を中心とする洋楽ヒットを集めたこのカバー集。
収録曲は次の通り。
| 01. | 悲しき片想い(YOU DON’T KNOW) + & ++ | ||||
| 02. | なみだの16才(IT HURTS TO BE SIXTEEN) + | ||||
| 03. | ボーイ・ハント(WHERE THE BOYS ARE) ++ | ||||
| 04. | そよ風にのって(DANS LE MEME WAGON) ++ | ||||
| 05. | 夢みる想い(NON HO L’ETA) +++ | ||||
| 06. | 悲しきあしおと(FOOTSTEPS) + | ||||
| 07. | ウォーク・ライト・バック(WALK RIGHT BACK) + [Duet with 山下達郎] | ||||
| 08. | 恋する瞳(L’AMORE HA I TUOI OCCHI) +++ | ||||
| 09. | ジョニー・エンジェル(JOHNNY ANGEL) + | ||||
| 10. | 砂に消えた涙(UN BUCO NELLA SABBIA) ++ | ||||
| 11. | いそしぎ(THE SHADOW OF YOUR SMILE) + | ||||
| 12. | 風のささやき(THE WINDMILLS OF YOUR MIND) + | ||||
| 13. | 恋のひとこと(SOMETHING STUPID) + [Duet with 大滝詠一] | ||||
| 14. | この世の果てまで(THE END OF THE WORLD) + | ||||
| +:英語 ++:日本語 +++:イタリア語 |
2003年秋の発売。たまたまそのころCD店をはしごしたことがあっておぼえてたのですが、どこの店でも 「そよ風にのって」 や 「悲しきあしおと」 なんかがヘビーローテーションしてました。店内で流す曲というのは、レーベルなどのプロモーションの都合だけで決まるものではないだろう。CD店の店員層にも受けたアルバムだったのだと思う。60年代都市中流家庭の感性を反映したような選曲で、自分としてはいまいちでしたが、竹内は気持良さそうに歌ってました。悪いアルバムではないと思います。
ムード歌謡といったらまず水商売の人に受けることが必須だったのではないかな~。だから、歌詞は水商売の人々の共感を呼ぶような内容がヒットの条件 だったような・・。「別れた人・・」「秘め事・・」「未練・・」「愛しているけどお別れね・・・」などなど。そしてちょっと哀しみをさそうような、甘さた だよう男がボーカルにいることも大切だった。ホステスさんに愛された歌は必ずヒット!!??・・
「小樽のひとよ」「君は心の妻だから」の『東京ロマンチカ』といえば、リードボーカルは三條正人。当時この人もホステスさん達にえらく人気があったと聞く。
リーダーの鶴岡雅義は古賀政男より作曲を学び、石原裕次郎の「泣かせるぜ」、石原裕次郎・川中美幸の「逢えるじゃないかまたあした」などのヒット曲を生んだ。
彼もラテン出身で昭和35年「トリオ・ロス・カバジェロス」を結成したが、昭和41年、ムード歌謡コーラスグループに転向して、『東京ロマンチカ』を結成した。
「和田弘とマヒナスターズ」を目標としてきたと三條正人は言う。一度は独立したが、近年、東京ロマンチカに戻り、マヒナが解散した今、ムード歌謡の使命感に燃えて2002年からコンサートツアー、アルバム発表と活躍している。
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内山田洋とクール・ファイブ
長崎出身の前川清が「長崎は今日も雨だった」でビューし一世を風靡した。
「逢わずに愛して」「そして神戸」「中の島ブルース」「東京砂漠」
この人は歌唱力抜群。しかも、ホステスさん好みの顔とスタイルで、これでは人気が出ないわけはない。177センチで、無口。男の色気があるという評判だった。
藤圭子と結婚。無口な二人ということで話題になったが離婚。藤圭子は再婚し、そこで生まれたのが宇多田ひかる。(この部分は余談)
前川だけでなく、ムード歌謡は歌唱力が問われたと思う。
うまくなければ相手にされず、声で酔わせて心で泣かせ・・こういうスタイルでないと通用しなかった。
かといって本物の愛だぁ~、な~んて真っ正面から言う歌詞だったら笑われちゃうし、ほのめかして「うそ」の裏に「ほんと」があるっちゅう感じがムード歌謡のアプローチだったかもしれない。
「長崎は今日も雨だった」・・・でだしの低音から「あ~ああ~長崎は~」の高音の哀愁を帯びた声は傑出していたと思う。