これは言える
2009-12-22 火曜日昭和時代の売れ曲は「シンプルで秀逸な ストーリーテーリング」で、平成時代の売れ曲は「一人称の感情表現」という気がする。昭和時代がショート・ショートで、平成時代が日記もしくは手紙。ポッ プソングに良し悪しは無いんだろうけれど、ハっとするようなストーリーのある歌が僕は好きです。
昭和時代の売れ曲は「シンプルで秀逸な ストーリーテーリング」で、平成時代の売れ曲は「一人称の感情表現」という気がする。昭和時代がショート・ショートで、平成時代が日記もしくは手紙。ポッ プソングに良し悪しは無いんだろうけれど、ハっとするようなストーリーのある歌が僕は好きです。
オタマトーンという楽器があります。形状や使い方はこの動画のとおり。なんかもうイントロあたりの手つきから笑えて、主メロディに入るとまたくすくすできます。
ほかにもいろいろ。
>> ちまたのオタマニスト <第一回> « 【Otamatone | オタマトーン】さわってカンタン電子楽器 | 明和電機
三上寛が昔から、名曲だ、名曲だと言ってる曲で、これを聴いて歌手になる気になったとか、これを歌いながら上京してきたとか言ってる。わたしにはもう一つ魅力のわからない歌だったんですが、昨夜、歌詞を見ながら聴いてみたら、なかなかよかったです。
作詞は川内康範。 康範先生の詞は、イメージがくっきりしている。感情もくっきりしてます。たとえばこの「落日」だったら全部まるごとそうなんだが、
落ちてはじめて 痛さを知って
恋にすがって また傷ついた
とか、
どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて
生きてみせると 自分に云った
とか、都はるみの歌った「女の海峡」とか (追記。勘違いでした、石本美由起です)
汽笛よ波よ 教えておくれ
わたしの明日はどこにある
城卓也の歌った
骨まで愛して欲しいのよ~
とか、いくらでも上げられますね。
ペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」、好きな歌というわけでもなかったんですが、こんな受け止め方もできるんですね。ちょっと味わいが増す感じがあります。
かつてヒットしたヘドロ&カプリシャスの『ジョニーへの伝言』は、愛した男の前から身を引いて立ち去ろうとする女の惜別の痛みを歌っているものだが、むかし私はこの歌の良さが半分も分からなかった。それどころか、バーの椅子に座って自分が二時間待っていたことを間接 的に伝えて欲しがる女の未練がましさを「うぜえ」などと感じていた。
でもそうじゃない。歌の女は、来ない男をもう待たぬと決めて席を立つまでに二時間もかかったのだ。せめてもう一度会いたかったに違いないはずの最後 の恋慕を女はほかにどのようにも言い表しようがなく、だからただ「二時間待ったことだけ伝えてくれ」と人に頼んだ。その「二時間」に、女が一人でおこなっ たすべての清算の重みがあったのに、私はこの歌詞に隠されているものを長い間まるで聴き解せずにいた。
これ、当たってるんじゃないか。
振り返ってみれば、昭和の歌謡曲はその世界を取り仕切っていたやくざというフィルターが常にかかっていた。やくざが感心しないものは決して歌謡曲にならなかった。特に女性アイドルは、ほとんどの場合男の視線に忠実な歌ばかり唄っていたし、特撮オープニング音楽も、女の子向けとなると途端にどうしようもなく適当なものになっていたりした。
そういえば、ヤクザこそファッションリーダーである、ヤクザの取り入れたものが男性ファッションとして広まる、という説があった。今はどうなんでしょう。
というわけで、日本のファド「船頭小唄」です。
ちょっと思いついたことがあり、時代や歌手によるテンポの違いを見てみました。
はじめのは大正の演歌師・鳥取春陽。大正12年(1923年)の録音。
野口雨情・中山晋平コンビの「船頭小唄」が発表されたのが大正10年なので、
その2年後の録音です。
♪=90前後で歌い始めて、後半は♪=100近くまで早くなってます。
八分音符(♪)の記号しかないので、これを使ってますが、四分音符のつもりで読んでください。
次は佐藤千夜子。昭和初期(1930年前後)の録音と思われます。
佐藤千夜子版は♪=110弱といったところでしょうか。
現在我々が持ってる「船頭小唄」のイメージからすると、
せわしない感じがあります。
次は森繁久彌。「船頭小唄」を現代に歌い継ぐ役割を果たした人物ですね。
森繁版は緩急があって♪=60~70ぐらいでしょうか。他にも森繁版がアップされてますが、60台前半といったところで、佐藤千夜子に比べるとずいぶん遅いです。
次は石川さゆり。「津軽海峡・冬景色」でブレイクした翌年1978年の録音。
今回聞いた中で一番良かった。
さゆり版は♪=80強。
森繁を除くと戦後はほとんどの歌手が80台前半で歌ってます。
で、これも叩いてもらいたい仮説なんですが――
おおざっぱに見て、初期の「船頭小唄」は♪=100前後で歌われてたのに、
戦後は80台にテンポが落ちている。
おもしろいと思いませんか。乗り物に代表されるように、時代が下るにつれて
生活のテンポは上がるもので、だったら歌もスピードが上がるのではないか。
同じ「船頭小唄」が、時代が下るに連れて遅くなってるのはどういうわけか。
仮説というのは、「歌いどころ、聞かせどころが見つかるにつれて、
歌い手がそれを捨てられず、すべて盛り込もうとするために、テンポが遅くなる」
というものですが、いかがでしょう。
反証は多いと思うので、そのへんもあげていただけるとありがたい。
おまけ。皆さんの好きなちあきなおみも歌ってます。
すいません、某ブログとの二重投稿なんですが、よかったら叩いてやってください。
長調は正しい音楽で、 短調は邪な音楽ということが昔から言われてきて、 でも根拠が示されたことはない。 ただ言われてきただけ。
だけど、そう言われ続けてきたことに根拠はあるはずで、 思うに短調のほうがヒダが深くて、 分析しにくいからではないか。 理論化、 単純化、マニュアル化しにくいものは、 いけないものである、 という欧米人の価値基準がそう言わせてきて、 それが日本の音楽界にも入って、日本でもそう言われてきたにすぎない。 神の音楽と悪魔の音楽とでもいうか。 単純でわかりやすい快感をもたらすのが神の音楽である長調、複雑でわけのわかんねえ快感をもたらすのが悪魔の音楽である短調。 じっさい、 短調というのは油断がならない。短調慣れしてない人が無用心に接したりすると、 身も心も揺さぶられてどうしようもなくなったりする。そういう社会的健全さを損ないかねない危うさを邪としたのではないか。
作曲家の中山晋平が昭和の初めにこんなことを言っている。
一般の民衆が長旋法の方に、 もつと多くの興味と価値とを見出し得る時代が到来したならば彼等自身どれほど今日に比べて幸福であるかわかりません。 ただ残念なことには今日急にその時代を出現させやうとしても、 三年五年の間には到底望まれるべくもないことです。
昭和4年 (1929) に中山が書いた 「民謡作曲」 というエッセイからなんだけど、 この民謡というのは今で言う民謡ではなくて、 民間歌謡つまり歌謡曲・ポピュラーソングのことです。
で、中山晋平がどうしてこんなことを言ったかというと、 中山という人は東京音楽学校 (東京芸大) を出ている。 日本の音楽教育というのは、明治以来ヨーロッパの理論を取り入れて行われてきて、 ヨーロッパの価値観を受け継いでいる。 つまり長調を正とし短調を邪とする世界(アカデミックな音楽界) の一員でも中山はあったわけです。 いっぽうで中山は、 「船頭小唄」 とか 「波浮の港」 とか童謡 「砂山」とかの哀愁めいっぱいの曲で人気を得た作曲家なわけで、 アカデミックな方面に対する言い訳みたいな気持もあったのではないか。
時期はわからないが、 もっとあとになって中山はこんなふうにも言っている。
わたしが健康主義に反対するのは、 大衆の哀愁趣味に迎合するためではありません。 大衆は生活のなかにある哀感をうたってもらうことによって、かえって慰めを得ることもある。 つまり、 健康な音楽も大衆を勇気づけるであろうが、 悲しみを悲しむことによっても生きがいが生まれるのである。
園部三郎 『日本人と音楽趣味』 という本からの引用です。 著者への直話だという。 健康主義に反対などという正論は戦中には言えないから戦後の発言だろうが、 こちらの言い方のほうが力強い。 哀愁≒短調を積極的に評価してます。 「悲しみを悲しむことによっても生きがいが生まれるのである」 悲哀の価値をこんなに力強く言い切った例はめずらしいんじゃないか。
キーが高くて、カラオケでもあまり歌われません。歌う歌じゃなくて聴く歌ですね。北島自身ももう高音部は出せないんじゃないかという話もあったりします。
キーが高すぎるといえば、 晩年の村田英雄が北島三郎とテレビで競演して「無法松の一生」を歌ったことがって、「度胸千両」入りのフルバージョンなんですが、村田はもうアンコ部分(度胸千両)の声は出せない。
で、北島が恐縮しながらアンコの部分を歌ったわけです。全盛期の村田英雄だったらありえない、いわば屈辱的な場面なわけですが、村田がにこにこ笑いながら聴いてたのが印象的でした。年をとるってそういうことなんだなあ、と。