- 14
- 2月
ボーイズソプラノは皆さんご存知として、このソリスト少年のコナー・バロウズくんの「少年のレクイエム:boy’s air choir」には、先の暮れから正月にかけてずいぶん慰められたものだ。
もう10年も前、彼が10歳か11歳の頃に吹き込んだこのCDは、さまざまな作曲家のレクイエムやミサ曲のキリエや、サンクトス、ピエ・イエスの部分をそれこそ夢のようなBソプラノで奏でてくれるのである。
多くはフォーレのレクイエムからのものだ。そしてこれが大変な名盤であったことを、身近な友人たちの重なる死を受け止められないでいた時に、心底から知らされた。
いつだったかはよく思い出せないが、これを買っておいて本当によかったと思う。こういうことってあるのだ。自分には宗教心なぞまるで持ち合せないが、この子の声を聴いているうちに、やがて、「ああ、彼も彼女も召されていったのだ」という、静穏な感覚が湧いてきたのが、実に不思議であった。
ただひたすらに澄み切って、こころ洗われる透明なこの声は、一体どこから生れてくるものなのだろうか。

2008-02-19 at 01:49
ここは野原だぁ~、誰もきてない。
何とコメントしていいかわっかりましぇ~ん。聞いたことがないもん。名前も始めて。
澄んだ声って一人の歌手でもある一定の時期しかだせないような気がします。
それだけに貴重ですよね。
こんな話聞いたことある。
イタリアの有名な画家(レオナルド・D・Vだったと思う)が
イエス様を描こうとモデルを捜した。
これほど純粋な顔はないというほど、澄みきったモデルが見つかった。
彼をモデルにイエス様を描いた。
そうして何年か経って、今度はイエス様を裏切ったユダを描こうとモデルを捜した。
これほど邪悪な顔はないというほど、すさみきったモデルが見つかった。
彼をモデルにユダを描いた。
ところが、このユダのモデルは数年前のイエス様のモデルと同一人物であった。
数年間の間に人の顔はこんなに変わってしまうということ。
声もそうかもしんないね。
2008-02-19 at 08:49
Mapさんコメントさんきゅうさん。
ああいう話題って皆をシラケさせるだけだね。
最近流行りのKYってやつか。ごっめーん!
こういうのは自分のブログで独り言してればいいのかも。すごすご。
こりからは樹を漬けよう。
しかしイエスとユダの話は、
なんだか昔読んだ太宰の「駆け込み訴え」に通じそうだね。
あれはユダからのイエスへの絶縁宣言のような形をとっているけれど、
ユダとイエスとが表裏一体であるかのような、
いや、イエスの独白のような、不思議な感じが残ります。
太宰魔術。
2008-02-19 at 21:43
いえいえ、冬眠、おや、いつのまにか春眠さんに、、、
ま、それはおくとして、シラケるとかではなく、単に
コメントできなかっただけ。
それより、太宰のお話になって、こちらこそ
しーん、太宰はほとんど読んだことがないもので。
さて、冬眠さんも春に衣替えあそばされたように
陽の光にまず春がきました。
春一番に歌いたい歌、聴きたい歌、
というようなテーマはいかがでしょうか?
2008-02-19 at 22:13
春一番に歌いたい歌っていえば、それはなんてたって「春一番!」
もち、キャンディーズでしょう。
でもほんとは、「おぼろ月夜です。
♪菜の花畑に入り陽薄れ~です。
えーと、唱歌を歌えるところというのはないのでしょうか。
唱歌ばっかし。
岩波文庫でもう古くからある「日本唱歌集」と「日本童謡集」が、
時代時代に合わせたワタクシ座右の書となっております。
高校時代に買って以来、新旧何冊ももっております。
これは人にプレゼントしてよし、自分でぱらりと読んで歌ってよし、
の名著です。
昔の文部省(選定)唱歌の運動を高く評価するものです。