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ムード歌謡といったらまず水商売の人に受けることが必須だったのではないかな~。だから、歌詞は水商売の人々の共感を呼ぶような内容がヒットの条件 だったような・・。「別れた人・・」「秘め事・・」「未練・・」「愛しているけどお別れね・・・」などなど。そしてちょっと哀しみをさそうような、甘さた だよう男がボーカルにいることも大切だった。ホステスさんに愛された歌は必ずヒット!!??・・
「小樽のひとよ」「君は心の妻だから」の『東京ロマンチカ』といえば、リードボーカルは三條正人。当時この人もホステスさん達にえらく人気があったと聞く。
リーダーの鶴岡雅義は古賀政男より作曲を学び、石原裕次郎の「泣かせるぜ」、石原裕次郎・川中美幸の「逢えるじゃないかまたあした」などのヒット曲を生んだ。
彼もラテン出身で昭和35年「トリオ・ロス・カバジェロス」を結成したが、昭和41年、ムード歌謡コーラスグループに転向して、『東京ロマンチカ』を結成した。
「和田弘とマヒナスターズ」を目標としてきたと三條正人は言う。一度は独立したが、近年、東京ロマンチカに戻り、マヒナが解散した今、ムード歌謡の使命感に燃えて2002年からコンサートツアー、アルバム発表と活躍している。
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内山田洋とクール・ファイブ
長崎出身の前川清が「長崎は今日も雨だった」でビューし一世を風靡した。
「逢わずに愛して」「そして神戸」「中の島ブルース」「東京砂漠」
この人は歌唱力抜群。しかも、ホステスさん好みの顔とスタイルで、これでは人気が出ないわけはない。177センチで、無口。男の色気があるという評判だった。
藤圭子と結婚。無口な二人ということで話題になったが離婚。藤圭子は再婚し、そこで生まれたのが宇多田ひかる。(この部分は余談)
前川だけでなく、ムード歌謡は歌唱力が問われたと思う。
うまくなければ相手にされず、声で酔わせて心で泣かせ・・こういうスタイルでないと通用しなかった。
かといって本物の愛だぁ~、な~んて真っ正面から言う歌詞だったら笑われちゃうし、ほのめかして「うそ」の裏に「ほんと」があるっちゅう感じがムード歌謡のアプローチだったかもしれない。
「長崎は今日も雨だった」・・・でだしの低音から「あ~ああ~長崎は~」の高音の哀愁を帯びた声は傑出していたと思う。

2007-10-17 at 11:49
Mapさん
ムード歌謡について、早速ありがとう。
大変要領よくまとまっていて、そうか、やはりホステスの人気者として誕生したのかと納得。
これはムードコーラス以外にも広げると、実にいろいろだね。
松尾和子もいれば、フランク永井、青江美奈なんかも入っちゃうみたいです。
ムードコーラスに絞ってみると、印象に強かったのは、
マヒナスターズ、東京ロマンチカ、ロス・インディオス、クールファイブ、ロス・プリモスですね。
それにご当地ソングの長崎で流行った「思案橋ブルース」の連中、これとリズム&ブルース系の
「グッドナイト・ベイビー」のキングトーンズくらいですかねえ。
これらのグループのリードヴォーカルを比べてみると、みな個性的で面白い。
マヒナの松平直樹と三原さとしに裏声の佐々木某、ロマンチカの三条正人、
クールファイブの前川清はよく知られているけれど、
Wikipediaで調べてみたら、ロス・プリモスは森聖二、ロス・インディオスは棚橋静雄という人のよう。
思案橋ブルースの連中はコロラティーノっていうらしいけど、てんで記憶にない。
でもムードコーラアスの全盛は、1960年代の後半あたりで、ちょうどグループサウンズ全盛の時代。
あの時代のニッポン歌謡はすごかったんですねえ。
で、どうですかね、リードヴォーカルの好みは?
ハワイアンやラテンという出自の音楽ジャンルによって違いはあるけれど、
上手かったのは、やはり三条正人だったと思います。それで、「東京砂漠」の前川、
「ラブユー東京」の森も捨てがたかったなあ。これは絶唱と言ってよかです。
2007-10-23 at 12:57
リードヴォーカルの好みは?
なんと言っても「前川清」。歌は「長崎は今日も雨だった」と「そして神戸」。
アメリカかぶれしたスタイルを崩さない男性がいて、本社の人がいらしてどうしてもカラオケをしなきゃならなくなりました。その時の選曲は「長崎は今日も雨だった」とのこと。キザ男でもかっこつけられるって思える曲なんですね。
きっと粘着型でなく、さっぱりした哀愁っていうあたりでしょうか。