• 25
  • 10月

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三上寛が昔から、名曲だ、名曲だと言ってる曲で、これを聴いて歌手になる気になったとか、これを歌いながら上京してきたとか言ってる。わたしにはもう一つ魅力のわからない歌だったんですが、昨夜、歌詞を見ながら聴いてみたら、なかなかよかったです。

作詞は川内康範。 康範先生の詞は、イメージがくっきりしている。感情もくっきりしてます。たとえばこの「落日」だったら全部まるごとそうなんだが、

落ちてはじめて 痛さを知って
恋にすがって また傷ついた

とか、

どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて
生きてみせると 自分に云った

とか、都はるみの歌った「女の海峡」とか (追記。勘違いでした、石本美由起です)

汽笛よ波よ 教えておくれ
わたしの明日はどこにある

城卓也の歌った

骨まで愛して欲しいのよ~

とか、いくらでも上げられますね。

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4 Comments

  1. 春眠 Says:

    これ実は初めて聴きますが、
    演歌として型にきっちりはまりすぎているきらいはあるけれど
    実にいいですね。
    詞が韜晦に満ち満ちているようで
    いわゆる、どうせ~という捨て鉢でないところがよいですね。

    僕も詞を三番まで、いまネットで探したら、
    djackさんがいうように、さすが康範せんせの詞ということでしょうか。
    きっちりと、潔い。
    それを一番感じさせるのは、三番の歌いはじめのところ

     それでもこの身をつつんでくれる
     赤い夕日に胸をあたため……

    ここがおもしろい。
    これまで任侠もの演歌などで常に使われてきた
    「夕日」が、ちがったメタフォーとして使われていますね。
    夕日はいつも“落ちていく”あるいは“堕ちてゆく”イメージとして
    語られてきて、たとえば 

     赤い夕日に背を向けて
     無理に笑った渡り鳥

    これは、次に ♪その名もぉ網走ぃ番外地ぃ~
    と続く「網走番外地」のだけれど、
    ここに典型的なように、立ち向かう相手として夕日があったと思います。
    そこで辛うじて、てめえの立ち位置のようなものを確認する。
    それを“胸にあたためる”というやさしさのようなものに変えていっているところが、
    際立っているような気がします。

    これは韜晦の男・健さんが歌ったらまた別な感じに
    なるかもしれませんね。
    でもやはりアキラの甲高い声のほうがきっといいんだろうね。
    韜晦ふうでその実、再生の歌って感じ。
    健さんなら、このまま夕日に背を向けて、ムムムッと
    歯を思いっきり食いしばって長ドス引っさげ
    憎いやつらをタタッ切りに自滅していくんだろうから。

    この詞は康範さんの生き方そのものなんだね、きっと。

  2. djack Says:

    ごめん、本文で訂正したとおり、川内康範ではなくて、石本美由起でした。
    しかもタイトル間違い、 「女の海峡」 ではなく、「おんなの海峡」。

    でも、これもいい歌詞です。悲しみは深く、だけど凛としている。

      ふたたび生きて 逢う日はないと
      こころに決めた旅なのに・・・

    http://www.youtube.com/watch?v=7zthAltI_Ec

  3. 春眠 Says:

    えっ、「落日」は河内康範せんせでしょ?

  4. djack Says:

    ごめん、ごめん、混乱させました。
    「落日」は川内先生、「おんなの海峡」は石本先生。

    「落日」歌詞
    http://j-lyric.net/artist/a000d3b/l01a79f.html

    「おんなの海峡」歌詞
    http://j-lyric.net/cd/zB00008BDDT/t3456.html

    「おんなの海峡」に歌われてる決意がいい。
    ♪ 未練深まる~ と歌っていても、その未練を断ち切る断念、諦念が
    伝わってくる。恋をなくした悲しみを歌いながらも、そこにおぼれない
    強さみたいのがあって、そのへんで川内作と勘違いしたね。
    調べてから書かんといかんよ。自戒。

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