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- 10月
三上寛が昔から、名曲だ、名曲だと言ってる曲で、これを聴いて歌手になる気になったとか、これを歌いながら上京してきたとか言ってる。わたしにはもう一つ魅力のわからない歌だったんですが、昨夜、歌詞を見ながら聴いてみたら、なかなかよかったです。
作詞は川内康範。 康範先生の詞は、イメージがくっきりしている。感情もくっきりしてます。たとえばこの「落日」だったら全部まるごとそうなんだが、
落ちてはじめて 痛さを知って
恋にすがって また傷ついた
とか、
どうせ死ぬなら 死ぬ気で生きて
生きてみせると 自分に云った
とか、都はるみの歌った「女の海峡」とか (追記。勘違いでした、石本美由起です)
汽笛よ波よ 教えておくれ
わたしの明日はどこにある
城卓也の歌った
骨まで愛して欲しいのよ~
とか、いくらでも上げられますね。

2009-10-28 at 11:04
これ実は初めて聴きますが、
演歌として型にきっちりはまりすぎているきらいはあるけれど
実にいいですね。
詞が韜晦に満ち満ちているようで
いわゆる、どうせ~という捨て鉢でないところがよいですね。
僕も詞を三番まで、いまネットで探したら、
djackさんがいうように、さすが康範せんせの詞ということでしょうか。
きっちりと、潔い。
それを一番感じさせるのは、三番の歌いはじめのところ
それでもこの身をつつんでくれる
赤い夕日に胸をあたため……
ここがおもしろい。
これまで任侠もの演歌などで常に使われてきた
「夕日」が、ちがったメタフォーとして使われていますね。
夕日はいつも“落ちていく”あるいは“堕ちてゆく”イメージとして
語られてきて、たとえば
赤い夕日に背を向けて
無理に笑った渡り鳥
これは、次に ♪その名もぉ網走ぃ番外地ぃ~
と続く「網走番外地」のだけれど、
ここに典型的なように、立ち向かう相手として夕日があったと思います。
そこで辛うじて、てめえの立ち位置のようなものを確認する。
それを“胸にあたためる”というやさしさのようなものに変えていっているところが、
際立っているような気がします。
これは韜晦の男・健さんが歌ったらまた別な感じに
なるかもしれませんね。
でもやはりアキラの甲高い声のほうがきっといいんだろうね。
韜晦ふうでその実、再生の歌って感じ。
健さんなら、このまま夕日に背を向けて、ムムムッと
歯を思いっきり食いしばって長ドス引っさげ
憎いやつらをタタッ切りに自滅していくんだろうから。
この詞は康範さんの生き方そのものなんだね、きっと。
2009-10-28 at 20:36
ごめん、本文で訂正したとおり、川内康範ではなくて、石本美由起でした。
しかもタイトル間違い、 「女の海峡」 ではなく、「おんなの海峡」。
でも、これもいい歌詞です。悲しみは深く、だけど凛としている。
ふたたび生きて 逢う日はないと
こころに決めた旅なのに・・・
http://www.youtube.com/watch?v=7zthAltI_Ec
2009-10-28 at 21:30
えっ、「落日」は河内康範せんせでしょ?
2009-10-28 at 22:17
ごめん、ごめん、混乱させました。
「落日」は川内先生、「おんなの海峡」は石本先生。
「落日」歌詞
http://j-lyric.net/artist/a000d3b/l01a79f.html
「おんなの海峡」歌詞
http://j-lyric.net/cd/zB00008BDDT/t3456.html
「おんなの海峡」に歌われてる決意がいい。
♪ 未練深まる~ と歌っていても、その未練を断ち切る断念、諦念が
伝わってくる。恋をなくした悲しみを歌いながらも、そこにおぼれない
強さみたいのがあって、そのへんで川内作と勘違いしたね。
調べてから書かんといかんよ。自戒。