• 09
  • 10月

歌謡集『梁塵秘抄』より。いちばん知られたさわりのところですが。

わが子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ
田子の浦に汐ふむと 如何に海人集ふらん
正しとて 問ひみ問はずみ嬲るらん いとをしや

我が子は十余に成りぬらん

わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ
国々の博党に さすがに子なれば憎かなし
負かいたまふな 王子の住吉西の宮

我が子は二十に成りぬらん

振り返ると胸が痛い。心配かけたんだよね、親には。

こちらに秘抄全文。
『梁塵秘抄』後白河法皇撰

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5 Comments

  1. geta Says:

    うん、ふつうは「いとをしや」という言葉からも
    親が子供のことを、かわいそうとか、ふびんとか
    思っていると解釈するのでしょうが

    どんな子供でもかわいいというか
    親一人だけかもしれないが
    子供の応援団だと
    前向きの気持ちがこめられていると
    親バカかもしれないですが
    そんな風にも読みたいですが・・・

  2. djack Says:

    > 親バカかもしれないですが
    > そんな風にも読みたいですが・・・

    言えますね。
    まるきり親バカです。
    子供が浮浪暮らしをしてようが、博打に狂ってようが、
    応援するしかないわけです。

  3. djack Says:

    徒然草の中に、梁塵秘抄に言及した箇所があるそうです。

    現代語訳
    《歌の道は昔から変わらんとか言うけど、そんなわけないだろw
    今読んでるリリックとか韻とかも昔と違うじゃん。昔のほうがかっこよかったし深みもあったっつーの。
    梁塵秘抄の曲とかいいよ。昔の人がちょっとはいた台詞ですらマジ感動するわ。》
    http://waranote.blog76.fc2.com/blog-entry-1181.html

  4. geta Says:

    第十四段かな。高校のテキストにはあったのかどうか・・・?
    古今集などの和歌について書かれていて、最後のところに
    梁塵秘抄が出てきています。

    低俗なはやり歌といわれているけれども
    心にジーンとくるものが多いものだよね
    というような文脈にもとれそうです。

  5. 春眠 Says:

    仏は常におわすとも~とか、遊びをせんとや~とか
    梁塵秘抄には今なおよく知られた歌謡がありますが、
    これ不思議に人情ものや股旅もの、ヤクザものの映画や小説の基底にある
    モチーフとなっていますね。
    むしろこうした作品は、ここで歌われているものへの返歌と言っていいのかもしれません。
    古今も新古今もいいけれど、大衆の実像を支え、これにずっと触れてきたのは
    こちらの俗謡ではないでしょうか。
    そういうことを研究している人は結構いるのでは?

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