• 21
  • 8月

というわけで、日本のファド「船頭小唄」です。
ちょっと思いついたことがあり、時代や歌手によるテンポの違いを見てみました。

はじめのは大正の演歌師・鳥取春陽。大正12年(1923年)の録音。
野口雨情・中山晋平コンビの「船頭小唄」が発表されたのが大正10年なので、
その2年後の録音です。
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♪=90前後で歌い始めて、後半は♪=100近くまで早くなってます。
八分音符(♪)の記号しかないので、これを使ってますが、四分音符のつもりで読んでください。

次は佐藤千夜子。昭和初期(1930年前後)の録音と思われます。
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佐藤千夜子版は♪=110弱といったところでしょうか。
現在我々が持ってる「船頭小唄」のイメージからすると、
せわしない感じがあります。

次は森繁久彌。「船頭小唄」を現代に歌い継ぐ役割を果たした人物ですね。
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森繁版は緩急があって♪=60~70ぐらいでしょうか。他にも森繁版がアップされてますが、60台前半といったところで、佐藤千夜子に比べるとずいぶん遅いです。

次は石川さゆり。「津軽海峡・冬景色」でブレイクした翌年1978年の録音。
今回聞いた中で一番良かった。
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さゆり版は♪=80強。
森繁を除くと戦後はほとんどの歌手が80台前半で歌ってます。

で、これも叩いてもらいたい仮説なんですが――
おおざっぱに見て、初期の「船頭小唄」は♪=100前後で歌われてたのに、
戦後は80台にテンポが落ちている。
おもしろいと思いませんか。乗り物に代表されるように、時代が下るにつれて
生活のテンポは上がるもので、だったら歌もスピードが上がるのではないか。
同じ「船頭小唄」が、時代が下るに連れて遅くなってるのはどういうわけか。
仮説というのは、「歌いどころ、聞かせどころが見つかるにつれて、
歌い手がそれを捨てられず、すべて盛り込もうとするために、テンポが遅くなる」
というものですが、いかがでしょう。
反証は多いと思うので、そのへんもあげていただけるとありがたい。

おまけ。皆さんの好きなちあきなおみも歌ってます。
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24 Comments

  1. やんす Says:

    コメントがないので・・・
    逆ではないのかな
    自信に満ちてこれだけあればいいという気持ちなら緩やかなテンポになる
    最初は若くていくらでも変われるので破れかぶれみたいに早い
    黒田節は若いほど高音で早く歌うが年増になるほど低音で緩やかだ

  2. djack Says:

    > 自信に満ちてこれだけあればいいという気持ちなら緩やかなテンポになる

    それは言えそうですね。
    ただ森繁がほかの人よりずっとゆっくりしてるのは、素人ゆえの自信かと思う。
    プロだとあそこまでテンポを落とすのは怖いのではないか。

  3. geta Says:

    昔の録音技術だとなるべく高音で歌ってもらいたい。
    となるとゆっくり唄うのはなかなかできないことかも。

    技術の進歩とともに低音の魅力も録音できるようになった。
    それで森繁のような歌い方もOKになった。

    というような理屈付けはどこからの受け売りかもしれませんが。
    でも森繁の歌はちょっと遅すぎではないかと感じます。
    そんなにうまいわけでもないのにね。

  4. 春眠 Says:

    単純に、戦後演歌の感情移入のしすぎと愚考しますね。
    戦前で流行って戦後リバイバル風に歌われた歌のどれもに
    そんな感じがします。
    戦前戦中は結構あっさりしています。
    古賀メロディのオリジナルと森進一のそれなんかは、まあ極端な例でしょうが。
    「並木の径」とか「雨に咲く花」のような歌でも軽く歌われていて
    それなりに大変好きです。
    戦後は、美空ひばりの影響が大ということではないでしょうか、多分。
    彼女がガキのときに出てきたときは、フツーの大人たちは
    なんてやなこまっしゃくれたイヤミな歌い方をするんだろう、と嫌う人が多かったはず。

  5. djack Says:

    > 昔の録音技術だとなるべく高音で歌ってもらいたい。
    > となるとゆっくり唄うのはなかなかできないことかも。

    なるほど、そういうファクターがありましたか。
    戦前の歌手に音楽学校出が多いのも、しっかり発声してないと
    録音できなかったというのが一因としてありそうですね。

  6. djack Says:

    > 戦後は、美空ひばりの影響が大ということではないでしょうか、多分。

    これ、歌謡史の重要なポイントではないかと思う。
    美空ひばり以前と以後では、歌のレベルが変わってしまった。
    ひばりを経験した耳で戦前の歌手を聞くと、歌の解釈も表現も浅く、
    一般に粗雑な感じがある。歌というのはここまで濃やか歌えるものだ
    ということを知らしめた歌い手だったのではないか。

    ただ功罪があって、濃やかさや解釈を盛り込みすぎて(春眠さんの言う
    感情移入の行き過ぎ)、歌ってる側は気持よくても、聴いてるほうは、
    うるさいよ、もう、いいかげんにしろ、という感じで嫌われてったのが
    演歌→ド演歌の流れだったのでは。

  7. 春眠 Says:

    元々講談師が世の改革を訴える手段でもあった「演歌」を
    艶歌だの怨歌だの言葉弄びした元コピーライターの、
    自作の小説に自分の気取った写真などを載せて
    年取ったら大河の一滴がどうたらとくだらないことを大仰に書いた
    あの文芸タレント草分けの悪影響も多分にあったかも。

    まあ、ひばり以降いろんなスタイルの演歌歌手が輩出して
    それは面白いことには違いありませんがね。

    しかし船頭小唄ならボクは桜と一郎の「昭和枯れすすき」のほうが
    一級のパロディとして大好きです。
    こういう“感覚パロディ”とでもいうのは他にもいろいろあったような……?

  8. やんす Says:

    パロディというと茶化しているみたいですがアレンジというと真面目
    電子バンドのベンチャースはどちらなんだろう
    作曲なんてしていないとは知らなかった
    紅潮し絶叫するところをペンペケ流すのはいい気なもんだった
    テンポも音程も全然長生きするぜ

  9. やんす Says:

    またしてもフリーズさせて不況にしたか
    せっかくいいお題なのに

    流行歌にしても本当は訳わからん
    明言できるidentityなんてあんのかね
    無念無想に耐えられず叫んでいるだけだべ

  10. 春眠 Says:

    ちょっと言い放しふうに中座した感ですんません。
    改めて聴き比べてみると、個人的にはちあきなおみがベストですね。
    時代の割りに醒めているようなところが感じられます。
    森繁はいわゆる森繁座興のスタイルですから、お座敷でカッコつけた旦那芸の域を出ていません。
    彼はあくまで森繁であり、他の何かで評価される対象にはなりにくいですよね。
    またやってらあという程度。

    石川さゆりは、やはり歌いすぎだと思えますがいかに?
    彼女は能でいえば狂女(もの狂い女)の歌手だし、
    森進一とちと似たところがあって、「哀しみ」という感覚なら、
    それを自分の中の哀しみに同調させ増幅させられる感性をもっているようです。

    ところが「船頭小唄」は哀しみの歌かというと、違うと思うのです。
    これは時代への諦観のようなものでしょう。
    この歌が作られ歌われた時代の感覚からすると明らかに逸脱しすぎでしょうね。

    たとえばこの大正の終わりから昭和の中頃では
    大衆にはいろんな行き詰まり感があって、行き先不明感も強かった。
    東北や中部地方の農家の次男坊や三男坊が、それでも
    満州に出かけてなんとか夢をつなげることができるように思えた一方で、
    何処にもでかけられず社会の底辺で生きるしか選択肢のない
    年齢層も多かったわけ。
    船頭小唄は、そういう時代の唄。

    その感覚は、高度経済成長時代の戦後にっぽんでは
    もはやどこにもない「生活の哀しみ感覚」を、
    商品として過剰に生産するだけだったのではないでしょうか。
    それが石川の感性だし、
    それがもっと露悪的なパロディとなったのが
    桜と一郎の「昭和枯れすすき」だと思います。
    ここではもう笑いながら歌うしかない。弄んでいます。

    美空ひばりが天性の感性で「歌の心」を作り上げたと同時に
    艶歌だの怨歌だのと商品遊びをした結果が
    「船頭小唄」の時代展開に実によく表れた現象だと思いますねんね。
    でも今、この格差社会が顕著になった時代で、
    新しい「船頭小唄」が出てくるのかどうか、どうなんでしょうねえ……
    そういう歌の傾向は出てるんでしょうか。

  11. djack Says:

    春眠さん
    多岐にわたる問題提起なので、とりあえず石川さゆりvsちあきなおみから。

    私にはやはりさゆりが優れているように聞こえます。
    上で紹介した船頭小唄は YouTube から削除されてますが、
    次の2本が聞けます。

    A. http://www.youtube.com/watch?v=5sZqe9kFMz4
    荘重感を出そうとしたらしい伴奏がばかげてますが、
    歌そのものは名唱です。

    B. http://www.youtube.com/watch?v=Ns6RR0ec0CU
    こちらのほうは伴奏は邪魔にならないんですが、
    まだ若くて、歌いきれてませんね。

    で、さゆりvsなおみなんですが、
    技巧を見せるか(なおみ)、見せないか(さゆり)
    といった違いを私は感じました。
    さゆりは技巧を見せずに歌ってます。でも技巧がないわけではない。
    それどころか、(Aの場合ですが)じつにていねいに
    きめ細かく歌ってます。いんちきな伴奏に引きずられず
    自分の解釈を守っているところにも力量を感じます。

    一方のちあきなおみ版は、技巧を見せようとして至らなかった
    という感じがあるんですが、どうでしょう。
    前回聞いたときは、技巧を見せようとして歌いすぎてる、
    踏み外してる感じだったんですが、今回聞いてみると
    そこまでは言えない。歌唱力のある歌い手なので、
    つい見方が厳しくなってしまったかもしれません。
    歌いどころがわかっているゆえに、やりそこなった残念な作
    というのが私の印象です。

  12. djack Says:

    > でも今、この格差社会が顕著になった時代で、
    > 新しい「船頭小唄」が出てくるのかどうか、どうなんでしょうねえ……
    > そういう歌の傾向は出てるんでしょうか。

    じつはこれがよくわかりません。70年代後半ぐらいから
    暗い歌、泣ける歌がなくなったというのが私の印象なんですが、
    その後どうなったのか、ほとんど音楽を聴かなくなってしまったので、
    今のことがわからないわけです。

    ちょうど符合するような書評があるので、以下に引用しておきます。
    著者が「泣ける歌がなくなった」と述べているのに対し、
    評者は「それぞれの世代に、泣ける歌がある」という意味のことを
    述べています。

    ======================================================
    ただこれで本当に泣けないかというとどうだろうか?。歌謡
    というのは同時代の大衆のもの(特に若者)であって、これ
    を聴いて育った世代は結構、これで身もだえできるんじゃな
    いのか?とも思う。実際、著者が叙情がないと指摘する尾崎
    豊の歌に、私は叙情をたっぷり感じられるのである。

    歌謡の伝統は代々受け継がれてきたものであり、常に新しい
    世代の心を動かす歌が残ってきたのだろうから、1931年生ま
    れの著者が、今の歌謡に響かなくても、大丈夫かもしれない
    と思ったりもする。
    ======================================================

    宗教学者の山折哲雄が書いた『「歌」の精神史』についての書評です。
    全文は下記ページにあります。
    http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/09/post-1065.html

  13. 春眠 Says:

    djack賛江

    まずはこちらから。

    >じつはこれがよくわかりません。70年代後半ぐらいから
    暗い歌、泣ける歌がなくなったというのが私の印象なんですが、
    その後どうなったのか、ほとんど音楽を聴かなくなってしまったので、
    今のことがわからないわけです。

    これは同感なんですね、今のことがわからない、
    ボクは日本の歌謡曲が「jpop」と世間に流通された
    時点でてんでにシラケちゃんって、もう90にもなろうかという吉本隆明が
    それでも歌田の歌は詞はなんたらかたらと誉めているのを読んでも
    ふーんそうかい……と、彼よりなんだかじじむさくなっちゃったのかなと。

    紹介してくれた山伏哲雄(え山伏かあ、となんとなく臭い感じをもったものの)の本は
    とても面白そうですね、めちゃくくちゃ広げちゃってどうなんだろうと、
    さっそくアマゾンで282円の中古本を1クリックで注文しましたので、
    読むのを楽しみにしています。

    はずれついでに、最近はアマゾンの1円本をよく注文します。
    1円と言ってももちろん送料が340円だのがつくわけだけど、これって猛烈に便利で、
    大助かりしてます。

    山伏は尾崎豊の歌に叙情がないと言っているようだけれど、
    この評者のようにボクも尾崎の歌には深い叙情を感じる。
    ボクのような年輩者にさえ彼の初期の頃の歌が、
    自分自身の学園生活(なんていうと気恥ずかしいが)
    や青い春のことがさめざめと?思い起こされる。
    むしろその後の歌を知らないで言うのはなんだが、商業主義とは無縁に
    沸き起こった彼の歌が最期の叙情なのではないかとさえ感じる。
    歌田以降の感性は、もうものすごくデティールが細かくデリケートなところにいっちゃって、
    そういう瞬間芸のような叙情をつかむ事ができないでいる。
    彼らの、人と人、男と女、人と社会への思いやりだの関係性への想いというものが、
    もうボクには理解したくともできない感じ。

    多喜二の「蟹工船」がちょっとしたブームになったというこの時代、
    どんな「泣ける歌」があるのか、
    こんなジジイたちといっしょに泣ける歌が、若者たちから生まれているのだろうか。
    それを知りたい。

    そういえば吉本はもう40年以上も大昔に「抒情の論理」という本を
    書いていたっけ。ここには古今の歌について、時代の抒情性というものについて
    書かれていたように思う。
    いまそれを読み返してみたい気になった。
    山伏の本と読んでみよう。

  14. djack Says:

    山伏じゃなくて山折ですよ。
    こんな本も出してます。

    『演歌と日本人』(のち『美空ひばりと日本人』に改題)
    http://d.hatena.ne.jp/henrymiura/20070805/1186393937

    84年刊。すでに絶版のようで、ネットでは高い値段がついてますが、
    古書店の店頭なら100円でころがってます。

    同書が紹介しているエピソードを一つ。
    82年の暮れ。ある新聞に次のような記事が載った。
    ある主婦が子供を寝かしつけるために日本の子守唄を
    歌ってやったところ、子供は布団にもぐって耳をふさぎ、
    泣き出してしまった。日をあらためて再度歌ってやると、
    幼児はイヤイヤをして明らかな拒絶反応を示した。
    母親がこの経験を新聞に投書したところ、多くの主婦から
    同様の経験を告げる投書があいついだ。
    この新聞情報に触発されたのが藤原新也で、藤原は
    幼児の音感を育成する最大の外的条件はコマーシャルソング
    であろうという仮説を立て、CMソングで短調が排除されて
    いるせいではないかとしている。

  15. djack Says:

    上の子守唄のエピソードですが、
    『「歌」の精神史』 の冒頭でも触れられてました。
    著者もお気に入りのエピソードのようです。

  16. やんす Says:

    よく調べるものですね
    元に戻すと、石川さゆりが狂い女というのは気に食わない
    かの歌唱は狂いなく極めてみせる見事な歌舞伎である

    芸能評論は物理制約が課せられてないから好きなことがいえて気分がいい

  17. djack Says:

    > かの歌唱は狂いなく極めてみせる見事な歌舞伎である

    すみずみまで丁寧にコントロールしてる感じがありますね。

    > 芸能評論は物理制約が課せられてないから好きなことがいえて気分がいい

    ですね。私の言ってることなんか突っ込みどころ満載なんで、
    せいぜい叩いてやってください。叩かれて鍛えられるというかね。

  18. 春眠 Says:

    djackさん

    山折がもともと宗教学者であることから、いつも山伏とミスインプリントしてしまっていて、
    失礼しました。

    インドを漂流していた藤原新也の視点というのはボクはとても好きですが、
    胡散臭いと思う人はかなりいるようですね。
    彼の分析は何かで読んだ気がしますが、
    ボクは胎内にいた頃に、戦争で家族がかなり辛い思いをしたせいか、
    幼い頃から、幼稚園などでオルガンの黒鍵ばかりいじっていたし、
    それで慰藉されていた気がしますね。
    また青春時代なんかにはなんとなく“不幸になりたがるような気分”がいつもあって、
    群れないで孤独でいることが好きだったもんですね。
    これはボクらの世代には結構通じると思います。
    中原中也だの立原道造だのに憧れる感性はそういうところからきているように思います。
    それが大学生の頃になると「孤立を恐れて連帯を求めず」ってな感じにもなった。

    ついこないだ、大学生などが独りで食堂にメシ食っているのを人に見られのがイヤで
    便所の個室で昼飯を食うとか言うのを聞いて、
    (いかにも藤原が飛びつきそうなテーマではあるけれど)
    これには驚いたなあ……。

  19. 春眠 Says:

    やんすくん

    >元に戻すと、石川さゆりが狂い女というのは気に食わない
    かの歌唱は狂いなく極めてみせる見事な歌舞伎である

    好きなことをいえるのは、本当にいいと思うね。
    でも、おたがいにとんちんかんなツッコミにならないようにしようね。
    能で言う狂女というのはそれなりの意味があるんよ。

  20. やんす Says:

    それよりも校歌のことが新聞にでてた
    作者不詳だったとは知らなかった
    校名を連呼どころか一度も出さない
    いい歌詞ですね

  21. djack Says:

    > たとえばこの大正の終わりから昭和の中頃では
    > 大衆にはいろんな行き詰まり感があって、行き先不明感も強かった。
    > 東北や中部地方の農家の次男坊や三男坊が、それでも
    > 満州に出かけてなんとか夢をつなげることができるように思えた一方で、
    > 何処にもでかけられず社会の底辺で生きるしか選択肢のない
    > 年齢層も多かったわけ。
    > 船頭小唄は、そういう時代の唄。

    これも興味深い問題提起なんだけど、
    考えがまとまらないので、いずれまた。

  22. 春眠 Says:

    山折哲雄の「歌の精神史」っての読みましたよ。
    基本、広く浅くあれこれ他人の論拠からそうだそうだと
    少し広げて展開したような、教養主義の本ですね。

    美空ひばりから折口信夫、俵真智、平家物語から西行と啄木と来て
    専門の宗教学へ行って道元と白楽天と親鸞
    そしてゴゼに行って西条八十と白秋で締め。

    しかも最初の「抒情はどこへ行ったか」のような山折の問題意識で
    壮大に貫通して行くのかと思いきや、
    なんとなく思い付き的に共通項をひらっていって
    各話完結でああそうでしたか、と言う感じ。
    とんだ教養大風呂敷で、広げた割にちっともスリリングではない。

    最後の白秋と八十について、こちらのあまり知らなかったことを
    教えてもらって、ちとおもしろかったかなあというくらい。
    でもまあ、彼が目からウロコだったという
    ギンギンのクラシック歌手藍川由美の「演歌のススメ」と
    阿久悠のいくつかのエッセイはボクも読んでいたが、
    これらは確かに面白い本ですよ。

    そこでボクは藍川が歌う演歌のCDを数枚買う破目になったが、
    なんかねえ、やっぱり感性的にね……しらけるんですよね、下手で。
    でも研究としては評価できます。

    山折は演歌がえらく好きなようだが、
    その演歌に感性的にヌメヌメと浸った彼の本は
    出ているんでしょうかね、むしろそっちを読みたいと思いました。

  23. 春眠 Says:

    djackさん

    すんません、いま石川さゆりの船頭小唄AとBを聴きなおしますた。
    AtoB、どっちが好きかというとBかなというところ、おっしゃるように
    Aはバックがうるさい過剰演出だわい。

    でこれもいま気がついたことなんですが、
    とくにAのほうにより目立つ、「小節」の多用ね。
    ワンフレーズずつすべてに小節が振舞われていますね。
    これはすごいです。
    戦前と戦後の違いがまさにここにも顕著にあるわけですが、
    ABとも確かにさゆりちゃんの絶唱と言ってもいいのですが、
    なんだか、どうしても、この歌には小節が過剰と感じてしますのです。
    小節はひとつ、このテーマの元々のキーワードになるでしょうね。

  24. djack Says:

    春眠さん
    私も「歌の精神史」と「演歌と日本人」を取り出して
    ながめてみたんですが、ほとんど内容をおぼえてませんでした。
    インパクトは弱いですね。ただ、こういう方面のことを
    これから考えてみたいというような場合は、
    わりに良いガイドブックとなるのではないでしょうか。

    > 山折は演歌がえらく好きなようだが、
    > その演歌に感性的にヌメヌメと浸った彼の本は
    > 出ているんでしょうかね、むしろそっちを読みたいと思いました。

    山折先生のいう演歌はほとんど歌謡曲と同義です。
    最盛期の歌謡曲を聴いてきた世代だと、
    歌謡曲という大きなジャンルがあって、その中に
    演歌もあれば、ムード歌謡もある、西田佐知子みたいな
    ポップなのもあるという認識なんですが、
    脇から聞いてた人やその後の世代の人たちは
    ひっくるめて演歌といってます。
    というわけで、山折さんも歌謡曲やど演歌にどっぷり
    つかって来た人ではなさそうです。
    「演歌と日本人」改め「美空ひばりと日本人」も
    基調は「歌の精神史」と同様です。

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