- 28
- 6月
キーが高くて、カラオケでもあまり歌われません。歌う歌じゃなくて聴く歌ですね。北島自身ももう高音部は出せないんじゃないかという話もあったりします。
キーが高すぎるといえば、 晩年の村田英雄が北島三郎とテレビで競演して「無法松の一生」を歌ったことがって、「度胸千両」入りのフルバージョンなんですが、村田はもうアンコ部分(度胸千両)の声は出せない。
で、北島が恐縮しながらアンコの部分を歌ったわけです。全盛期の村田英雄だったらありえない、いわば屈辱的な場面なわけですが、村田がにこにこ笑いながら聴いてたのが印象的でした。年をとるってそういうことなんだなあ、と。

2009-06-29 at 08:13
いちばんの聞かせどころの音域が割れてガラガラに崩れては歌ではない
黛ジュンさんも今ではあなたを愛していられない
年増の芸者は凄みで歌い続けていたのにね
2009-07-08 at 00:33
高い音が出ればいいというもんでもないでしょうね。
「ちあきなおみ」は音域が狭くて裏声を使わないけどいいねぇ。
夜でも静かに落ち着いて聴いていられます。
とくに昭和二十年代や三十年代初めのナツメロは最高です。
2009-07-08 at 09:09
ちあきなおみが注目されてるんでしょうか。
今朝ほどこんなまとめ記事を書いた人がいました。
「ちあきなおみより他に神はなし」
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/07/post_e8f9.html
2009-07-09 at 00:36
今年になっても東京新聞とか日経新聞にもちあきなおみの記事が載ったと思います。
引退してからずっと復帰を待っている人も少なくないようです。
とはいえ、実はちあきなおみのファンだったのではないのです。
若い頃のあの甘ったるい歌い方にはついていけなくて・・・
五年くらい前でしたが、10歳くらい若い友人がちあきなおみのファンで
「黄昏のビギン」を聴かせてくれました。むかし水原弘が歌った曲です。
まぁそれ以来ですから、僕なんかはまだまだ駆け出しです。
三橋三智也のリンゴ村から、春日八郎の別れの一本杉、
青木洸一の柿の木坂の家など、低音から高音まで幅が広い曲なのに
うまく歌いこなしていて、元歌手の歌とはべつのいい雰囲気です。
2009-07-11 at 08:59
「ちあきなおみより他に神はなし」
正にそうだ。ファドを歌わせると凄みがあるのは旦那を失うからなのか
禁断の歌手だね
2009-07-12 at 11:29
ちあきなおみは、歌謡界から失踪したことで、神話ができた感もありますね。
それが純愛ふうな理由で語られているし。
彼女は美空ひばりの跡目を相続できるほどだと言われてきたけれど
まあ、それほどとは思えないにしても、ボクも彼女の歌の上手さには痺れますねえ。
「矢切の渡し」など、これはまったく彼女しか歌えないほどすごい。
最近の演歌を聞いてもあまり感動することってないから、
カムバック待望論は当然かも。
ボクのもっている彼女のCDのうちでは、昭和初期のものをカバーしたのが一番好き。
例のクルマのCMで有名になった「星影の径」とか、我らの?秋山恵美子も歌った
「水色のワルツ」そして傑作は「港が見える丘」かなあ……
自分が最初に歌った歌よりもカバー曲がいい、なんていうのは
やはり歌が上手いことの照明だろうし、一番よかったはずの「矢切の渡し」が
売れなかったというのは、なにかやはりスムースにいかない歌人生だったような気もしますね。
しかし、彼女のファドはどうだろうか。
日本語の歌詞のせいもあるけれど、あれはまったく演歌で、
ファドをあまり聴いたことのない人には、演歌として十二分に通用しちゃうだろうけど、
あのファドの女王アマリア・ロドリゲスの名歌「難船」が
あんな感じになっちゃうなんて、ちと寂しすぎます。
アマリアはGetaさんも詳しかったようと思いますが
いわば日本の美空ひばりのようなポルトガルの桁外れの存在。
ひばりちゃんの「悲しき口笛」や「越後獅子」「悲しい酒」を
同じくにの演歌歌手がそうそう歌えないように、無理がありますよ。
いくらファドが日本の演歌といわれていてもねえ。
ファドについてはまた、いろいろ語りたくなりますが、
このへんでやめましょう。
2009-07-12 at 11:52
といいながら、アマリアの名歌「難船」の言語の歌詞「夢」の意味は以下の通り。
私は夢を船に乗せた
そして、海に浮かぶ小船……
――あとから、私は夢を沈めようと
海を両手で押し開いた
私の手は
波の蒼さで、まだ濡れている
そして、私の指から滴る色が寂しい砂浜を彩る
風が遠くから吹いてきて
水の底なる船の中では
私の夢が
果敢なく消えて行く
船を沈め
夢を消すため
海の水があふれるように
私はもっと泣くでしょう
これは彼女の一番ポピュラーなアルバム「コンケ・ヴォス」という
もう30年以上も前のレコードの歌詞カードにある、西川牧子さんという人のちと堅苦しい対訳。
ファドには海に出るしかなかったポルトガル人の、
恋人や夫や息子を海で喪った悲しみと孤独を歌っているものが多い。
因みに、このレコードのタイトルには
大地の果てるところ そこにファドが生まれる
ジャーン!! ってな、かっこいいコピーがついていて、これに惹かれて買ったんだね。
そしてこのアルバム「コンケ・ヴォス」というタイトルは「どんな声で?」の意味のファドの曲
どんな声で、私の悲しいファドを嘆こうか
これほどまでに辛いパッションで私を埋めたファド
私に残された悲しみはなんと大きいことか
私の醒めた幸福の時よ
って始まる歎き節なんですね、これが泣いているのか叫んでいるのか
とも思わせるような、静かでドラマチックな実にいい歌。ああ!
2009-07-12 at 12:19
で、サブちゃんの歌で何がいいかと思い返すと、
やはり「函館の女(ひと)」ですね。
場所的な世界とそれゆえのスケール感。男の矜持。ダイナミズム。
次はやっぱり若かりし頃の共感「兄弟仁義」
これも歌詞を書き付けたい欲求に彼らルけれど、
1番から3番まで歌詞は全部いいけど、二番は……
義理だ恩だと並べてみたら
恋の出てくるすきがない
後は追うなと駆け出す路地に
降るはあの子の涙雨
いやあ学生時代によく歌ったなあ、
酒場で、大声で、見得の振り付きで、ガなりましたよ、もー。
また歌いたい。やろ、やろ。