• 13
  • 3月

「インターナショナル」は知ってますか。私はタイトルしか知らないんですが、これがカラオケに入ってないという話。

【A面】犬にかぶらせろ!: カラオケ史最大の謎

答はこちら。
http://b.hatena.ne.jp/MagicCut/20090118#bookmark-11712884

「国際学連の歌」なら知ってます。「インターナショナル」とは別物ですよね。

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18 Comments

  1. 蘭スター Says:

    ご無沙汰いたしておりました。
    久しぶりにあけましたら、「インターナショナル」、、、???
    「よし、次はインターを歌おう!」
    まさか、やっぱり、、、違うんですよね。

    音楽は大好きですが
    結局、自分の狭い範囲でしか楽しんでいないんだな、と
    このブログを見ていると思わされます。
    人生もしかり、か、、、。

  2. yansu Says:

    ばかげているよね
    なんでインターナショナルを歌うと赤軍なんだ
    これじゃヌード画はすぺて破廉恥だった時代と同じ
    人は解らないから何かで決め付けたいんだ
    大体、広範な視点なんて余程無邪気でなければ持ちこたえられない
    人生の楽しみ方はいかに究極的に極微の核心に収束させられるかです
    強烈なエネルギーが必要だ

  3. 春眠 Says:

    いつの間にか……春。
    春宵値一刻千金の季節ですねえ。春きたりなば風邪と共に冬去りぬ。

    「インターナショナル」がキャラオケにないのは商品ではないからです。
    課金できない印税払えない革命歌ですから資本の論理の埒外解放区にあるものだからでしょう。

    でも、「一国社会主義」をテーゼとして真のインターナショナリズムを志向してこなかった
    ソ連や中国そして日本共産党など、インターナショナルを歌う資格のない国や党派が
    この歌をテーマソングにしてきたというのは歴史の皮肉ですね。
    だからもはや誰もこの歌を歌えない。
    それで、♪ああ~あああ高校三年生 みたいに頬染めて懐かしく歌えるような歌じゃないから
    世界同時革命を志向した元××派だってさえ、歌うことができまっせん。
    グサッと刺さりすぎてるもん、たぶんね。
    せめて歌えるのはワルシャワ労働歌くらいのもんでしょか。

    でもキャラオケに君が代はあるんでしょうか。
    これもないような気がする。あの密室でだれが歌うんだろう。
    少なくとも需要と供給のバランスとかいう商品性はない、だろうね。
    早い話が誰が金払ってまでも君が代なんて歌うかということかしらん。

  4. djack Says:

    本物のインターナショナリズムがあるとしたら、
    ナショナリストが仲良くなったときだね。

    ナショナリズムって、強いものをバックに威張りたいとか安心したいという心性だから、
    どこのナショナリストも似たもの同士、仲良くできるはずなんだけどね。

  5. yansu Says:

    ところがどっこいそうはいかない
    不景気になってくると国粋主義者が愛国心を騒ぎ出す
    似たもの同士だから憎さ百倍
    パレスチナもインドも同一種族の骨肉争い
    ナショナリズムはなくなったらお終いだが強すぎてもお終いだから始末が悪い
    方言のような地方色は必要だが何を言っているかわからないとダメ

  6. 春眠 Says:

    >本物のインターナショナリズムがあるとしたら、
    >ナショナリストが仲良くなったときだね。

    心情的にはまさにそうなんだよね。
    誰だって自分の郷土愛をもっているのに、海の向こうの何人であろうと、
    やっぱそういう気持をもってるんだろうな、というのが単純な想像力というもの。
    こうした他人への想像力ってものが、なぜか同じ国にいてさえ、むつかしいンだろうね。
    他人(国)を蔑視し、より自分(国)のほうが優れているという偏狭なナショナリズムは、
    どこから生まれてくるのであらうか。

    たとえば古い話だけれど、ガガーリンが人類初めて宇宙を飛んだとき、
    彼は地球の青さに瞠目しつつ、決して地球に国境なんかをみることはなかったはず。
    ところが地上に降り立った途端、ソヴィエトばんざーいとなった。
    そういえば、立花隆の「宇宙からの帰還」というドキュメンタリーはおもろかったなあ。
    とぴずればっかで、ごっめーん。

  7. yansu Says:

    ずれは大事だ
    ビッグバンでずれができていたから物質がなくならずに存在しているというのが対称性のブレイク
    マスコミの科学に怒っている立花さんが科学朝日の廃刊に抗議して書いた本によくでている
    この人はゴツイね
    なんたってスプートニク人工衛星成功にはアメリカは青天の霹靂で驚いた
    日本だって弾道弾迎撃失敗で死者でも出たら大騒ぎだ
    科学技術がなければ石でもぶつけるしかないもんね
    高エネルギー粒子加速ビームとはいかない
    バンバンずれようぜ

  8. 春眠 Says:

    立花さんって、編集者。
    自分が読みたい本を自分で書いて作っちゃうってひと。
    松岡正剛しかり、あの寺山修司なんてまさにその典型だった。
    みな読者に教えたくてたまんないという欲求のえらく強い人ばかりだ。
    最近、新手のインターネット批評というスタイルを試みながら
    やや自閉的でなかなか苦労しちょるD-ジャックと豆の木さんも、
    ネットエディターといえるのかしんないけど。

  9. djack Says:

    いや、批評はやめたいと思ってるわけです。
    批評的に頭を使うのと創造的に使うのは、すごく折り合いが悪い。
    批評的に思考してると創造ができなくなるんだよね。
    片方にしぼるなら、創造かなあと。

  10. 春眠 Says:

    そうですか、何をオリジナルな創造とするかによって違ってくるかもしれないけれど、
    ネット上の個々の素材から触発される形で
    クリエイティブにテーマを打ち出しているように思えるので、
    あれこそネットならではの新しいタイプの批評ではないかと思ってます。
    あえて言えば、寺山タイプのエディトリアル。
    勘違いかもしれないけれど。

  11. djack Says:

    批評と創造という言葉を雑駁に使iい分けたけど、
    表現というのは必ず批評を含むわけで、
    どんな作品も先行作品やトレンドに対する批評になってるわけです。
    理解してもらってるみたいで、幸せ者であります、私は。

    > バンバンずれようぜ

    ですね。ずれたり、転んだり、かきまわしたりしながら再創造
    といったところかな。

  12. yansu Says:

    再創造という必要ない
    創造しようとする試みは自家薬籠中の付加価値をつけることだからね
    単なるレクリエーションなんかではない
    生きた証をつくりあげる必死な作業ダヨン

  13. 春眠 Says:

    >ですね。ずれたり、転んだり、かきまわしたりしながら再創造
    といったところかな。

    ま、距離のはかり方ですよね。
    ネットというきわめて圧縮された「こんにち」がうじゃうじゃカオスそのものとして
    詰まって排泄され生み出されてるんだもの。
    こここそ宝庫だしトレンド八方だし、玉石混交石玉交混だし
    かつてこんなに高密度の情報世界はなかったのでは?
    そこから何をみつけられるのかなんて、至難五難のワザですよ。
    選らんだものに自分の卵を産み落としていくような漢字。
    まさに情報のビッグバン前のひとときだべね。
    こちらは、アナログのクリティックな方法論しかもちあわせないけど。

  14. Geta Says:

    「インターナショナル」はベ平連とかのデモをしながらで歌ってたので
    そもそもアカペラというか伴奏なんてナシでしたねぇ。
    新宿西口のフォークゲリラではギターの伴奏くらいはありましたが。

    あの頃に「インターナショナル」と同じようによく歌った曲には
    ジョーン・バエズの「We Shall Overcome」などがありますが
    これならカラオケにあるかも・・・

  15. 春眠 Says:

    「インターナショナル」も「国際学連の歌」も「ワルシャワ労働歌」も
    日本では自称前衛党の人たち以外、伴奏つきで歌った人はまずいないでしょうねえ。
    そういう伴奏のある状況そのものが嫌悪されていましたから。
    昔のモスクワ放送は、「インターナショナル」の演奏から始まっていたような……。

    フォークをやっていたのでジョーン・バエズは大好きでしたが、
    あの「We shall overcome」だけは歌いたくなかったのはなぜだったのだろう。
    これは革命歌でもなんでもなかったわけですが、
    例のショスタコヴィッチの5番のシンフォニーはどうですか?

    大島渚の処女作でお蔵入りになった映画
    「日本の夜と霧」のあるシーンで、この曲についての会話があったっけ。
    『おい、ショスタコヴィッチの5番を聴いたか?』
    『うん、あれはすごい!』
    そういうことで神話化され、当時の連中は聴いてみる気になった。

    なんだかね、この4楽章をそれこそ起承転結みたいに
    革命への意味づけして聴いていたように記憶しているけれど
    そういう聴き方って、やっぱヘンだったなあ。

  16. Geta Says:

    We shall overcome は確かに革命歌ではなく
    黒人が歌っていたのが市民運動のプロテストソングと
    なったようなことを聞いた気がします。

    インターナショナルは上から指示されている感じのする
    歌ですが、We shall overcome は自分自身の意志を
    歌っているという違いがあるかなぁと。

    ショスタコの5番はあまり聴いていないのでなんとも・・・

    革命に対する姿勢というようなことでレーニンなどとの
    苦しいことが、この交響曲を作曲するときに
    ショスタコーヴィッチにあったとかのエピソードは
    耳にしたことがありますが。

    作曲のいきさつは、それはそれとして
    音楽は耳に入ってくるままに受け入れれば
    いいのかもしれませんね。

  17. 秋眠 Says:

    We shall overcome は確かキング牧師の、
    黒人公民権運動時にでてきた歌だったように思います。
    インターナショナルも労働歌も、発生はやはり運動や闘争の渦中から
    自然に生まれてきたものです。
    権力との現実的暴力的な階級闘争のさなかに、
    自分の闘う意志そのものを問いながら歌われてきたのですから
    相当過激だったと思いますよ。
    少なくともハイキングやピクニック風に呼びかけられたデモのなかで
    歌うのはなんとなく気が引ける
    と考える人たちもかなりいたものです。

    とはいえ今は昔……ですねえ。
    オバマが大統領になって、We shall overcome もお倉入りとなるのでしょうか。

  18. djack Says:

    おぼえのない歌でエントリーを立てたりして、無責任なんで
    いちおう YouTube で聴いてきました。

    福島みずほ先生ご出演版。
    http://www.youtube.com/watch?v=18Gr7nBkPTk

    「立て飢えたる」 あたりの歌詞とメロディにはおぼえがありました。

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