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先日、高尾から一時間ほどの中央線沿線にある、山梨県の倉岳山というところに登りました。富士山の鑑賞ポイントとしても知られる山で、わずか990mほどの山でしたが、なかなかどうして、登山道の風情もあり、渓谷沿いに栃の巨木ありで、登り甲斐がありました。
写真は、その頂上の、富士山の反対側から望める風景。桂川を中心にした村落と中央高速や甲州街道の山間の風景が、ご覧のようにまるで書き割りのよう、実にしっとりとして良い眺めでした。ここに立った瞬間にぴったり、三木露風の詩が浮かんできました。
ふるさとの 小野の木立に 笛の音の うるむ月夜や
おとめごは あつき心に そをば聞き 涙流しぬ
ととせ経ぬ おなじ心に きみ泣くや 母となりても
ごぞんじ「廃園」という詩集にある「ふるさとの」で、これに短い曲がつけられ、歌となっています。その歌がまた実に、とても、しっとりして良い歌なのです。その歌は、高校時代に母親から教えてもらいました。詩にある「小野」とは、三木の出身地である兵庫県の山里のようですが、こんな風景を見ると、まるで自分がこの詩の作者にでもなった気分で、笛を聴かせたくもなろうというもの。
ある意味では田舎のごくありふれた風景なんでしょうが、何か浮かんでくる歌なぞあるでしょうか?


2008-04-24 at 13:37
第一印象:
小諸なる・・・のほとり・・のうた。あれは小諸だからもうすこし川がおおきいのかもしれませんが。
それと「峠」という長谷川・・盲目の歌手の歌:和製ボっチェリー二・・というより、
ボっチェリー二が伊製・長谷川っちゅうか・・・
♪ 峠で別れた、カラスがわかれた、姉さんが別れた、子分がわかれた
♪峠は前と後ろと別れて行く~♪(ここまでアップ・テンポ)
♪皆の心の中に峠がある~越える~♪(最後、ここがスローで聞かせるんです)
とかなんとかいう歌で非常に好きな歌でした。
レコードは・・・記憶の闇のかなた・・これは惜しかった・・
この中に「Black is a Colore ・・・」というBlack Power運動の真中で歌われたバラードが入っていて、これを長谷川が歌うと、もうジーンときたものです。
2008-04-24 at 16:16
> 何か浮かんでくる歌なぞあるでしょうか?
なんといっても、まず浮かんで来ちゃうのは舟木一夫の 「夕笛」 ね。
作詞の西条八十は、 「生前の三木露風から許可を得ていた」 と言って
盗作疑惑を乗り切ったようですが、 そんな言い訳の通ってしまうところが
やはり芸能というものでしょうか。
2008-04-24 at 20:41
西条八十。本当だ。参ったね。
こんなのありかね。本人から許可をもらったもらわないとかの以前の問題だよなあ。
あ、シラケたしらけたしらけた。西条八十がねえ……。
もうやーめた!
http://listen.jp/store/artword_1150285_38667.htm
2008-04-25 at 07:14
まあ、そんなにしらけないで。
芸術とか芸能って、意識的にしろ無意識にしろ何らかの下敷きがあって
成り立つもので、ときには大きく踏み外しちゃうこともある、というくらいの
理解でいかがでしょう。
西条を好きだったらしい寺山修司なんかも盗み癖は知られていたし、
ちょっと待てよ、もしかして西条八十もW大? もしかするとW大に盗み癖が
あるのかな、いや、冗談ですが。というわけで、今となっては
しょうがないなあ八十先生、と笑ってすますくらいかなあと思うわけです。
こちらに、その寺山が西条を盗んだ件。
http://www.uraxima.com/notes/20071130a.html
2008-04-25 at 07:47
そんなことで白けているの
森しんいちの歌う歌詞にもそんなのが・・・
音楽協会に公取が不公正があると取り締まりに入ったようですね
こんなの音楽だけの話でFreeWare/OpenSourceの運動から見れば偏狭
自分の能力成果が世界の公共財だと信じられて無償公開している人がかなりいます
社会不公正だと負に言うより、文化基盤だから公開すると言うのが勇ましい
エラさんともっと明るいほうへ行きましょう
2008-04-25 at 09:56
djackさんや。
そ、寺山には昔から盗作常習の疑いがあるけれど、
彼は稀代の編集者だと僕は見ているんです。
あっちからこっちからもってきて、全然違った自分の世界を積極的に作ってしまう。
この西条八十からのパクリも、公然と意識的にパロっていますよね。
美術や文芸の世界にはパクリや模倣は常態で、非難されるものではありませんよ。
しかし、この八十の露風からのパクリは情ない。
解釈的模倣という感じで、なぞっているだけでしょ?
しかも詰まらなくしている。
いいか悪いかではなく、表現者として情ない。
なんの前進もない。返歌でもない。
こういうのはやはり最低だと思う。
yansuくんの場合は、エラおばちゃん、聴いてからにしようね!
2008-04-25 at 12:07
春眠さん、うまく整理してくれて、同感です。
創作活動における先行作品との関係は、いちがいに割り切れるものではなく、
オマージュ、パロディ、引用、盗用、たんなるコピーなのかあるいは編集とか
コラージュというべきものなのか、あるいはごく自然な影響関係と見るか、
グレーゾーンは広いし、人によって価値観もさまざまだから、そう簡単では
ないんですが、 最終的には倫理観の問題かなと思いました。
「トミノの地獄」 → 「惜春鳥」 について言えば、これだけインパクトの強いフレーズを
冒頭に持ってきたからには、ばれることが前提、というか、「原典はわかるだろ」
というメッセージを含んだ作りと見ていい。 寺山の作にしては質は低い気がするけど、
出来不出来の問題ではなく、 スタンスとしては許される、 というか、
創作のあり方の一つだと思う。
いっぽうの 「ふるさとの」 → 「夕笛」 は、典型的な政治決着ですね。なにしろ
関係者の顔ぶれがそろいすぎてる。文壇の長老にして歌謡界でも功労者の西条八十、
これに歌謡界の重鎮である船村徹が曲を付け、歌ったのが舟木一夫、
しかも曲はヒットしている。駆け出しの作詞家がやったことなら、「ごめんなさい、
もうしません」 という処理になったかもしれないが、西条先生にあやまらせるとしても
誰が首に鈴を付けに行くのか、だったら誰も傷つけない (三木露風は死んじゃってるし)
形で納めましょうということだったのだと思う。後味のいい話ではない。
2008-04-25 at 13:06
ユーチューブにも数曲あります
なんかとてもなつかしい
アラバマに落ちたの流れ星
ニューオリンズも俺たちも随分変わっちまった
チェ・ゲバラの「モーターサイクル・ダイアリーズ゜」読んだことあるかな
2008-04-25 at 13:54
>西条先生にあやまらせるとしても
誰が首に鈴を付けに行くのか、だったら誰も傷つけない (三木露風は死んじゃってるし)
形で納めましょうということだったのだと思う。後味のいい話ではない。
ほんと、ほんと。八十さんも八十過ぎの晩年だったんでしょうね。
ともかく詩とか俳句・短歌について、その意味はこれこれしかじがだと
やたら人に解説したがるのがいて本人は得意なんだろうが、
あれほど鼻白むことはないね。
今回については、きちんとしていた詩が、全然つまんない解説みたいになっちゃっていて、
ついつい激昂。すつれいすますた。
yansuくんも、元気だねえ。
ゲバラと何が結びつくかしらんが、「モーターサイクル・ダイアリーズ」は
青春の書だよーん。
映画になったのは観たの? あの映画は素晴らしいよ。
いつかどこかのMLで散々それについて書いたと思うけど、
yansuくんも読んでくれたでしょ?
2008-04-26 at 01:11
>何か浮かんでくる歌なぞあるでしょうか?
少し高いところへ登ると、よく浮かんでくる歌があります。それは、『惜別の歌』
1.遠き別れに耐えかねて
この高楼に登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣を調えよ
3、君がさやけき 目の色も
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ
2008-04-26 at 07:27
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sekibetsuno_uta.htm
島崎藤村の豊かな詩情と作曲者の切迫した戦時下の心情は違います
あなたは、ここで別れても必ずいつか会いましょうと伝える君のどこを見つめていますか
2008-04-26 at 22:23
盆地を見下ろすシチュエーションて、詩情があって何か浮かんできそうだけど、
なかなか素直に浮かばないなあ。
もう少し低いところからの眺めなら、「別れの一本杉」 とか (杉じゃないけど)、
「あさげと花と地蔵さんと」 とか、
もう少し高いところなら、題名忘れちゃったけど、こんなのとか
山にあこがれ 山並み越えて
はるかに見下ろす 花咲く村よ・・・
飛躍の乏しい連想ですが、むしろこんなのはどう。 直感的には私はこれでした。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Pieter_Bruegel_d._%C3%84._106.jpg
2008-04-26 at 23:45
お、djackさん、ブリューゲルですか。ふーむ。
これは帰ってくるイメージですね。
狩りから犬たちと疲れ切って里へ帰ってくる。
Mapさんが感じたように、
山の頂上もまた「峠」だとすると、大好きな「別れの一本杉」の世界も成立しますね。
でもそれは出て行くイメージ。
Sさんの懐かしい「惜別の歌」(この歌もとても好きだなあ)も、出て行きますね。
日本の歌には「峠」の情景がたくさん歌われていて、
こちらからあちらへと、愛するものたちを捨てて旅立っていく
多くの心がそこに遺されている。
山を峠や丘と見立てると、人によって、帰るか行くか、越えるのか越えないのか
いろいろ違って出てくるのかもしれないね。
5,6年前かに、本屋で「なぜ『丘』を歌う歌謡曲がたくさんつくられてきたのか」
という本を見つけて買って読んだのですが、
なかなか面白かった。
筆者は大学の先生なんですが、彼は万葉集の最初のにある歌
籠(こ)もよ み籠持(こも)ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児
家聞かな 名告(なの)らさね……
に始まって、日本の歌謡曲にたくさん出てくる「丘」のイメージは一体なんなのだろうと考え、
それは「喪失」と「再起」を象徴する分水嶺だからだ、って言うんだね。
つまり古来から「丘」っていうのは「丘陵」と「墳丘つまり墓」をイメージする言葉だからだと。
そしてこの国の戦後の歌謡曲史を「丘」から「峠」、「夕陽」に広げて、
実の多くの歌謡曲を解剖しちまうんだ。
そのやり口はちと強引だけれど、どんどん戦後の歌謡曲を挙げていくと
なるほどなあと思わせるほど、たくさんの「丘」が読み込まれているんだね。
そのイメージは、そう、さまざまな時代の結節点を想起させる。
例のアグネス・チャンの
♪丘の上 ひなげしの花で 占うあの人の心
帰る・帰らない……の「ひなげしの花」って歌がまさにそうじゃないかと言うんだ。
面白いよね、こういう説論は。
でも考えて見れば、Mapさんが最初に藤村の「千曲川旅情の歌」
小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子かなしむ
みどりなす ハコベは萌えず 若草もしくによしなし
を思いだしたというのは、少し意外だったですね。
つまり、それが情景として、俯瞰して見えたわけだよね。
あの歌での藤村は、そこから出ても行かず出るにも出られず
よしなき日々を過ごして、
濁り酒濁れる飲みて草枕 しばし慰む
の心境で、そういう自分を見下ろしていたんだろうと思う。
越える越えないという二者択一ではない状況。
実はこの詩にも朗々として曲がつけられていて、
高校時代の音楽の教科書で教わった。
もうね、てんでいい曲。実はオハコ。
カラオケなんかでは歌えないのが寂しいところなんだ。
2008-04-27 at 02:50
ブリューゲル、を連想された
djackさん。この絵は初めて見ましたが
これも冬の絵ですね。冬の絵が多いように
思いますが、やはり、冬が長い場所柄でしょうか?
歌、にこだわってました。絵でも詩でもいいんですね?!
となると、以前もどこかで取り上げられた
のちのおもいに、かな。文字使いが違っていたら
直してください。
2008-04-27 at 09:02
立原道造ですか。
「のちのおもひに」
夢はいつもかえって行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかえったた昼下がりの林道を
(あとは忘れました)
おもひだしますね、立原のソネット。ため息がでます。
ところで蘭スターさん、
東大裏の根津近くの弥生美術館に行ったことってあると思いますが、
立原の絵や詩がいつも展示されていますね。
いまはちゃうど5月。
根津権現のあのツツジがまっさかり。
人が多いので夕方あたりに出かけると
妖艶を通り越して、薄気味悪いほどですよね。
連休にでかけるのはいいな、
上野の森から歩いてちょうど。
無境庵で蕎麦をたぐりながら一献。
興に乗ったら「根津の甚八」でもう一杯。
お、いいぞ、行ってこよう。
毎年恒例になった連休の「ラ・フォル・ジュネ・ジャポオン」(熱狂の日)
今年はシューベルトがメインだそう。
チケットは辛うじ歌曲が買えたので、その後に行ってみようかと。
2008-04-27 at 20:06
みなしゃん、ここは歌の町
この景色なら当然これです
http://www.fukuchan.ac/music/j-senzen/akagiyama.html
故郷国定村を捨てて、まともな街道を歩けない忠治
ふと見下ろす懐かしい村里
2008-04-28 at 08:08
yansuさん、ロマンなのを引っ張ってきたね。
この画面の手前に忠治と子分が身をひそめて
当局や住民の動きをうかがってると。
2008-04-28 at 11:53
お、yansuくん、じょーでき。
こんだカラオケでこいつは頼んだぜよ、振り付けありで。
2008-04-28 at 22:57
晴れて革命の成った故郷キューパの大臣職を捨てて
遥か遠くボリビアの山中でゲリラの闘士として見た名月は
ゲバラにとっていかばかりでありましたでしょうか
2008-04-29 at 02:38
春眠さん、
竜野市小野で検索したら、
小高い丘の上からちょうどこの写真の角度で
町を望む水彩画がありましたよ。
あ、ちょっと町がこれより近景だったかも。
そしてその人もやはり
「ふるさとの」を思い出しならが
描いたとのことでした。
ところで、シラける話になりますが
こういう風景、そしてここから詩情を感じるってこと、
オランダでは無理でしょうね。
とにかくかの国は
平らな国、だそうで、何かで読んだ(面白くする
かめの誇張はあるかも、ですが)のですが
ある人が引越しをして
その自慢に、今度の家は「丘」の上だ、というのだそうです。
詳しく読むと、道路から1.5メートル「も」高いところに
ある、とのこと。
日本に住まわせてあげたくなりました。
2008-04-29 at 22:11
>竜野市小野で検索したら、
小高い丘の上からちょうどこの写真の角度で
町を望む水彩画がありましたよ。
蘭スターさん、それはぜひ見たい!
探してみたのだけれど、見つかりません。URLを教えてください。
海抜より低いオランダの話というのは、
小学生のときに、何かの本に載っていた「祖国を救った少年」といったような
美談を覚えていますよ。
仮にハンスくんという名だったか、
海岸の堤防に小さな穴が開いているのを知った彼は、
そこにわが腕を潜らせて自らを防波堤として、失神するまで堤防の破壊を喰いとめた、
という実話だそう。
ああ、ハンスくん、今何処?
2008-04-30 at 03:51
春眠さん
竜野市水彩ケント紙8号で検索してみてください。
2008-04-30 at 10:42
見つかりました。これですね。
http://www.ne.jp/asahi/ynym/kim/e027tatuno1.htm
確かによく似てます。高度差と揖保川の流れの違いだけ。
倉岳山から見下ろした景色は、正面方向に中央線の梁川駅があり、
それに添って甲州街道と桂川が左から右へ走っています。
駅手前に高い橋があって、そこから眺める桂川の渓谷はなかなかのものでした。
2008-04-30 at 12:14
蘭スターのおっしゃる水彩画、これものすごく好きです。こういうのってなんとも言えず、なんともいいです。見えてきちゃうのよね、思い出しているものが・・景色が動き出して・・たんくす!
春眠さん、
「峠」がキュンとなっちゃうのは、峠まで見送りにきて、峠で別れる。もと来た道に帰る人と、その向こうに行っちゃう人と。カリフォルニアは米国の峠のような州だそうです。通過場所という点でね。世界中の人が通過していくからスケール大きな峠だけど・・・
小諸なる・・はそうです、俯瞰でみえたんです。
Mapもこの歌よく覚えていて、今でも歌えるもんね。
ほんとうにハコベでしたっけ?ごめん疑って!春眠は記憶力たしかだもんね。
でもハコベってさ、子供の頃十姉妹の鳥を飼うのがはやっていてハコベ食べさせたじゃな~い。
島崎が十姉妹飼ってたわけじゃあないよね。
2008-04-30 at 23:04
Mappin
ほんたうかどうかと訊ねられればほんたうよと示すしかないばってんにまるにさんかくといふことで、
以下に「青空文庫」から盗んできた藤村の全詩をごろうじろですね。
そんで、こんだ、Mapはんと、♪小諸なる古城のほとり~って、いっしょに歌おうね。できたら手をつないでうたったらいいと思うんだね。
千曲川旅情の歌
一
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす繁縷(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む
二
昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ
いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし
千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ
2008-04-30 at 23:31
Hi ちゅんみん、
島崎の詩、ありがとう!
でもなんだね。これってなにか漢詩みたいね。李白っちゅうか・なんか・・
嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
川の波ってなんとも素敵ね。
よっしゃ、一緒に手をつないで歌うっちゃ!
2008-05-01 at 21:44
手をつないで歌っちゃうのは、あれだね。
勝って嬉しい花いちもんめ
負けて悔しい花いちもんめ
あのこがほしい
あのこじゃわからん
このこがほしい
このこじゃわからん
丸くなってきめよう
が思い出せるね。
知ってた? この歌って、すごい残酷なのだよ。
2008-05-02 at 13:20
これって最後まで誰からもほしいっていわれない子がいて、たった一人で花いちもんめ・・・で、かわいそうだったよねー。自分も一人になったとき肌ざむかったもん。
でも、そういう意味でなくもっと残酷なお話が潜んでいるわけ?
こわいけどしりたーい。おせ~てくらさ~い。
この峠の景色が夜になって、真っ暗なところで子供のお化けが「花いちもんめ」であそんでいたら、ちょっと合うことは合うけど、うわ~、こわ~
自分で言って自分で今晩はこわい夢見そう・・・
2008-05-04 at 23:26
いやいやMapさん。残酷というのは、そんなところです。
これは貧しさのために子売りが常態化していた時代の
哀しい名残なのだという、よく知られている意味です。