• 05
  • 8月

「昭和ノワール」というコンセプトを考え付いた。暗さがかっこ良さでもあった時代の歌謡曲。

1934年 「国境の町」 (東海林太郎)
1937年 「別れのブルース」 (淡谷のり子)
1947年 「夜霧のブルース」 (ディック・ミネ)
1955年 「カスバの女」 (エト邦枝)
1957年 「錆びたナイフ」 (石原裕次郎)
1957年 「俺は待ってるぜ」 (石原裕次郎)
1959年 「女を忘れろ」 (小林旭)
1960年 「さすらい」 (小林旭)
1961年 「黒い傷痕のブルース」 (小林旭、洋楽カバー)
1966年 「夢は夜開く」 (園まり、緑川アコ、他)

  • 19
  • 7月

jamaica.JPG

レゲエだレゲエ。
予告編を見て以来、わくわく期待していたレゲエの過激なドキュメンタリー映画『Made in JAMAICA』を見てきたぞ。
いきなり始まったのが、ダンサーの殺人事件と、その会場で繰り広げられたあの官能そのもののレゲエダンス。

出てくるわ出てくるわ、
「ジャマイカの今」を歌って踊ってシャウトして熱く語る、第一線のレゲエミュージシャンたちのおよそ20の人やグループ。
ベラフォンテの歌で有名になった、ジャマイカはキングストン、貧困と暴力のゲットー。
その街角で、ライブの舞台で、ある歌い手は自由を賛歌し、あるグループは立ち上がって闘えとアジり、
ある女性シンガーはきわどい下ネタを、またある老歌手は銃をぶっ放すBadManを諌め、
また自らのアイデンティティを探る歌手はアフリカ回帰を叫び……

これら下品で高尚で熱血で猥雑で過剰で暴力的なメッセージを、
すべてあのバックビートのキーボードとギター、重低音のエレキベースの
レゲエ特有のサウンドに乗せて、歌い絶叫し囁き、腰をくねらせグラインドさせて、踊りつくすのだ。

いやはやそのエネルギー、その多様さはなんとしたことか。
すべてレゲエを語り口にして、そう、レゲエを通して彼らは考え、主張し、愛を交わしていたのだった。
ボブ・マーリーとジミー・クリフくらいしか知らなかった東洋人の感性はまったく狂わされっぱなし。面白いねえ。渋谷で始まったばかりでござんす。

  • 15
  • 7月

また YouTube ネタなんですが、プレスリーのラブ・ミー・テンダーを見てたら、身のこなしや目線のあり方が小林旭そっくり。歌い方は裕次郎そっくり。

>> Elvis Presley - Love Me Tender

もちろんプレスリーが先行してるわけで、アキラや裕次郎がプレスリーに影響されてるんですね。

上のビデオでは、プレスリーは細い襟のジャケットですが、エルヴィス・オン・ステージのころから、衣装の襟がやたら大きくなります。最近の小林旭が、やっぱりでかい襟を好んで着てるんですが、当時の刷り込みでしょうか。

  • 08
  • 7月

山口百恵はやはりすごい歌手だ!
特に、宇崎竜童と阿木耀子のコンビの歌から彼女の新しい面がでてきたと思う。古風な面とコンテンポラリーな女のイメージを併せ持ったユニークな歌手になった。
それにしても歌は抜群にうまいんですね。
感情をあまり入れ込まないで情感をちゃんと表現している点。
振り付けもなにげなく大きく動くあたり、なにか特別のセンスをもっていたような気がします。

この特徴がよく出ている二曲をyoutubeで・・

プレイ バック
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横須賀 ストーリー
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百恵ちゃんの頃までは、自分が成長過程で学んだ常識というか、パターンがまだまだテレビでも新聞でも職場でも通っていたのではなかったでしょうか?
宇崎竜童の最初の頃の「たばこブギ」や、「港のヨー子、横浜、横須賀」なんて、すごくあたらしかったけど、「限りなく透明に近いブルー」の小説もあったり、ああいう雰囲気はわからないではない世界であったし、新しさに共感があったけど、その後は「新しい」という価値が自分の中で変わってきてしまいました。

新しい=衝撃的な共感・・・から
新しい=またか! 「ぼうや、いったい何を教わってきたの~、わたし、わた~し、つかれるわ~」になっちゃって・・・

これって年のせいなのか、
世の中が新しい事は必ずしもいいことばかりではなくなってきたせいのなでしょうか?
諸先輩のご意見聞きたし。

  • 27
  • 6月

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詳しくはこちら。
「台所のワンウーマン・バンド」動画が人気 | WIRED VISION

  • 14
  • 6月

yansu さんのおかげで、無駄に youtube で時間を使ってしまいました。

美ち奴 「ああそれなのに」

神楽坂浮子 「明治一代女」

鈴木三重子 「愛ちゃんはお嫁に」

西川峰子「あなたにあげる」

美ち奴の 「ああそれなのに」 は70年の収録とのこと。 まだ声が出ていて、 立派なものです。 とはいえ、 彼女の最盛期は昭和10年代。 女・小林旭とでもいうようなぶっ飛び具合は、 機会があったらぜひ味わってみるようお勧めします。戦前の 「ああそれなのに」 はみつからなかったので、 下の 「シャンラン節」 で往時の一端を。

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  • 05
  • 6月

okawokoete.jpg

 久しぶりに映画鑑賞会をやりませんか。そんで飲みながら、感想会やりましょう。映画は、菊池寛をモデルにした猪瀬直樹原作:高橋伴明監督:主演は西田敏行の「丘を越えて」  http://www.okaokoete.com/#  6月7日から、銀座と新宿ではじまるようです。

 菊池寛にも猪瀬にもさほど興味はないし、西田は何を演じてもおんなじで好きな役者ではないけれど、モガ・モボ全盛の大正モダニズム時代の歌やダンスがレトロっぽくたくさん出てくるとか。そっちが面白そう。

監督の高橋伴明も、かつて若松プロで修行して関根恵子を略奪した後、あまりパッとしないできたけれど、最近は元気になったみたい。立松和平の、連合赤軍事件の小説を映画にしたばかりだしね。どうでしょうか。

  • 30
  • 5月

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 コイズミさんが音楽の本を出した。
コイズミさんって、ほら、メリケン国でブッシュ大統領の前でプレスリーの真似し歌った、あのニッポン国の首相だった小泉純一郎さん。
新書版で、タイトルは「音楽遍歴」だって。もちろん実際に書いたわけでなく、語ったのをうまくまとめたもの。
プレスリーばかりかと思ったら、案外なクラシックファンなのだ。 それもヴァイオリンコンチェルトから、シンフォニー、オペラへと続く相当マニアックな遍歴だ。そしてオペラが最高! なぜってオペラのテーマは愛だからってね。

しかしマニアとはいえ、演奏家がどうの、再生装置がどうのなんてそんなことはどーでもいいと、通俗的なツウぶるマニアとは違って、あっさりさっぱり。好きなものは好きなんだとね。で、おもろいことも言ってます。
曰く、歌舞伎は日本のオペラである。とりわけ、十八番の勧進帳は、まったくオペラそのものだ。不思議なことに、この両者は16世紀末ごろにほとんど同時に世界の東西で生まれたのだ、と。(もちろんネタ本あっての話だが)。そうか!と思わず膝を打ったものだったった。
後はプレスリー、パット・ブーン、演歌と、ボクらも知ってるあの世界をまあ実によく語ってる。
トドメはプレスリー。なんとコイズミ選曲・解説ライナーノート付きのプレスリー選曲集CDなんてのが、いつの間にか出ているのだ。

それにしてもこの本、実に軽く、実に飛び飛び、まさにコイズミキャラをうまく活かしたようなコピーになっていて、読み飛ばせる。が、そこはさすが、脚注が大変うまく丁寧に仕上がっていて、編集者の力を誉めてあげたい。余談だが、筆者インタビューを通してこの本を紹介したい、と取材を申し込んだら、いともあっさり、ダメ!
 

  • 29
  • 5月

この二人、57歳と58歳なんだけど、やることが若いですね。

押し入れの中に、見ず知らずの女が住み着いていた!? 福岡県警粕屋署は28日、同県志免町の男性(57)宅に忍び込んだとして、住居侵入の現行犯として住所不定、無職堀川タツ子容疑者(58)を逮捕した。押し入れ内の天袋にマットレスを持ち込み、生活までしていたという。
同署によると、男性は1人暮らし。以前から家の食べ物がたびたびなくなることを不審に思い、人影に反応すると画像が携帯電話にメールで送られる仕組みの警報装置と監視カメラを室内に設置。この日午後2時すぎに外出すると、十数分後に不審者が写った画像を受信した。男性の110番通報で署員が駆け付け、天袋に隠れていた堀川容疑者を発見。午後3時10分ごろ現行犯として逮捕したという。いつから、なぜ住み始めたのか調べている。

知らない女、天袋に住み着く!? 住居侵入容疑で逮捕 粕屋署 / 西日本新聞

  • 20
  • 5月

前から思ってたことなので、どこかよそでも書いてるはずですが・・・

青江三奈が死んだとき (2000年)、 テレビで彼女のヒット曲を時代順に流しているのを見て、 というか聴いて、 なるほどなあ、 三奈ちゃんでさえそうだったのか。 時代が下るにつれて彼女の唱法が演歌度を加えてゆき、 歌謡曲界の流れをコンパクトにまとめて見せてくれたようなメドレーでした。
歌謡曲の凋落は、 ド演歌化にあり。 80年代、 90年代というのは、 歌謡曲の歌い手がド演歌のタコツボにはまって、 歌の世界を貧しくしてしまった時代ですが、 青江三奈もその流れの中にいたんだと知って、うら悲しいものがあったわけです。

最近 yansu さんが某メーリングリストで紹介していた美空ひばりの 「悲しき口笛」 を聴いて、 やはり同じことを思いました。

こちらが、 ひばりデビュー当時のもの。
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こちらが円熟期の 「悲しき口笛」。
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(追記。 上のビデオがここでは聴けなくなりました。  YouTube でどうぞ。)

あとのほうが、 ねっとり演歌っぽくなってますね。 むしろこの曲なんかは、 粘っこさをそぎ落として、 もっと小ぎれいに、 もっとポップに、 都会っぽく仕上げて行っても良かったのではないかという気がするのですが、 ひばりが選んだ方向は逆でした。
円熟期といっても67年のものなので、 ひばりはまだ30歳前後ですが、 彼女はこのころから 「歌唱力のある歌手」 という売りを前面に押し出すようになっています。 歌のうまさを見せつける歌い方って、 聴き手の側からいえば嫌らしいものですが、 歌う側は気持ちがいいのでしょう。 この気持ちの良さが、 歌謡曲をだめにしてしまった一因ではないか。 というのも、 演歌は高度な表現力を求められる音楽でして、 ウナリとかコブシとか、 見せどころ、工夫のしどころがたくさんあって、 その工夫がうまく行ったときの「快感」 が、 多くの歌手を演歌的な表現に向かわせた要因だったろうと思うのです。 客を楽しませる歌唱から、 自分が楽しんでしまう歌唱へとでもいいましょうか。

歌謡曲が演歌・ド演歌に収斂していったもう一つの要因が、 「演歌は日本人の心だ」 といった言説でしょう。 今でこそセレブといえばまず芸能人を思ってしまうくらい芸能人の社会的地位が高くなってますが、 基本的には芸能は下賎ななりわいであって、 そういう立場にあれば、 「あんた、 日本人の心を歌ってるんだねえ」 と言われて、 つい嬉しくなってしまうことはある。 まったくの的外れな評価ではないにしても、 うっかり誉め言葉に乗ってしまったのが歌謡曲の不幸だったと私は思ってます。 晩年のひばりは、 自分のことを演歌歌手と称してました。 ジャズから江戸の小唄まで、 オールマイティの歌い手だったのにね。 彼女もまた、 「日本人の心」 なんていう甘言にはまって、 表現の幅を狭めてしまった一人なのだと思います。

自分のことを言えば、 演歌者です。 なにを歌ってもコブシが入っちゃうのが自分の歌い方のデフォルトだし、 北島三郎や都はるみが好きだし、 日本の歌謡史に太字で書かれるべき超一流歌手だったと思うし、 サブちゃんやはるみの歌を歌うのが好きだし、 歌ってて気持ち良いし、 ではあるんですが、 だからといって、 歌の世界がド演歌ばかりでは面白いわけがない。 歌謡曲が落ちぶれたのも当然だったのではないか。 というわけで、 今さらいってもなあ感いっぱいの80・90年代歌謡小史でした。 おつきあいありがとうございます。